漢詩と中国文化
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曹植:七歩詩



曹植は曹操の庶子で曹丕の実弟である。少年時代から父に従って戦闘に従事し、また詩歌にも非凡な才能を示した。このため、曹操の後継者として目されたこともあったが、曹操が死に曹丕が後継者としての地位を確立すると、曹丕によって迫害された。

側近は次々と殺され、自身は安郷侯に左遷されたことを手始めに次々と転封され、失意のうちに41歳で死んだ。

父曹操、兄曹丕ともに詩人として優れた業績を残しているが、曹植はそれを上回る優れた作品群を残した。曹植自身は、丈夫の本分は政治にあり、詩文はたんなる慰みごとに過ぎないと見ていたようであるが、その業績は中国文学史上燦然とした輝きを放っているのである。

七歩詩は、或る時兄の曹丕から、七歩進むうちに詩を作らねば殺すぞと脅かされて作った詩だとされる。豆ガラを燃やして豆を煮ると歌うこの詩は、兄弟でありながら互いにせめぎ会うことのむなしさを歌ったもので、曹丕と曹植との間の悲しい関係を嘆いたものだとされる。非常に有名なものだが、曹植本人のものではないとする説もある。

七歩詩

  煮豆持作羹  豆を煮て以て羹と作し 
  漉支以爲汁  支を漉して以て汁と爲す
  稘在釜下燃  稘(まめがら)は釜の下に在りて燃え
  豆在釜中泣  豆は釜の中に在りて泣く
  本是同根生  本と是れ根を同じくして生じたるに
  相煎何太急  相煎ること何ぞ太(はなは)だ急なる

豆を煮て羹を作り、納豆を漉して汁にする、豆柄は釜の中で燃やされて豆を煮、豆は釜の中で茹でられて泣く、豆も豆柄ももともと兄弟同士なのに、どうしてこのように互いに煮たり煮られたりせねばならぬのか。






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