漢詩と中国文化
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東方朔:誡子詩



東方朔は能の曲目にも取り上げられているから、日本人には古くから馴染みの深い人物である。能においては仙人ということになっているが、実在の東方朔は漢の武帝に仕えた侍従であった。

東方朔が仙人に擬せられたのには訳がある。奇怪な言動をなすことで知られ、天子の信頼を厚くしながら低官に甘んじた。その無欲で闊達な生き方が仙人に通ずるものを持っていたのである。史記は東方朔を滑稽列伝の中で取り上げている。

東方朔については様々な逸話が伝わっている。同僚の小人たちをだまし、彼らの天子への懇願を利用して武帝に認められた話や、武帝が食い残した食事を袂に詰めて家に持ち帰った話などが有名である。一方学識の深さは当代一流で、武帝の信頼も厚かったとされる。

同僚の学者たちが東方朔の低位を皮肉り、あなたほどの人がそんな低位に甘んじているのは不思議だといったとき、東方朔は、乱世にあっては能力のあるものは自ずから頭角をあらわすが、今のような平和な時代においては、賢者も愚者も識別しがたいといって、学者どもを黙らせたという。

そんな東方朔を、ほぼ同時代人だった司馬遷は同情の目を以て描いている。その無欲な生き方に共感したのだろう。東方朔が死に臨んで武帝に諫言したことをとらえて、「鳥の死せんとするや、その鳴くこと哀し、人の死せんとするや、その言ふことよし」とたたえている。

東方朔の「誡子詩」は、題名の通り息子にあてた教訓である。


誡子詩

  明者處世 莫尚於中  明者の世に處する 中に尚(くは)ふるは莫し
  優哉游哉 與道相從  優なる哉游なる哉 道と相從ふ
  首陽為拙 柳惠為工  首陽拙たり 柳惠工たり
  飽食安歩 以仕代農  飽食安歩せんには 仕を以て農に代へよ
  依隱玩世 詭時不逢  依隱世を玩び 時に詭(たが)うて逢はず 
  才盡身危 好名得華  才盡くせば身危ふく 名を好めば華を得る
  有群累生 孤貴失和  群有れば累生じ 孤貴なれば和を失ふ 
  遺餘不遷 自盡無多  遺餘あるは遷しからず 自ら盡くすは多き無し
  聖人之道 一龍一蛇  聖人之道 一は龍一は蛇
  形見神藏 與物變化  形見はし神藏し 物と變化し
  隨時之宜 無有常家  時の宜しきに隨って 常の家有ること無し

息子は父の尽力により郎官となり、やがて侍謁者になったと伝えられている。






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