漢詩と中国文化 |
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無家別:杜甫を読む |
無家別は戦いに駆り出されて家族を持つこともできなかった男の嘆きを歌ったもの。久しぶりに故郷に帰ってくると、どの家も荒れ放題、たった一人の家族たる母親も、苦労しながら死んでしまい、その遺骸は埋葬されることもなく朽ち果てようとしていた。これでは到底健民の境遇とはいえない。 杜甫の五言古詩「無家の別れ」(壺齋散人注) 寂寞天寶後 寂寞たり天寶の後 園廬但蒿藜 園廬但だ蒿藜 我裡百餘家 我が裡の百餘家 世亂各東西 世亂れて各々東西す 存者無消息 存者は消息無く 死者為塵泥 死者は塵泥と為る 天宝の後は世の中が乱れ、田畑には雑草が生えるばかり、我が村の家々も、それぞれチリヂリバラバラになってしまった、生きているものも消息が知れず、死んだものは泥濘と化した 賤子因陣敗 賤子陣敗に因り 歸來尋舊蹊 歸り來って舊蹊を尋ぬ 久行見空巷 久しく行きて空巷を見るに 日?氣慘淒 日は?せて氣は慘淒たり 但對狐與狸 但だ對するは狐と狸 豎毛怒我啼 毛を豎(た)てて我を怒りて啼く 四鄰何所有 四鄰何の有る所ぞ 一二老寡妻 一二の老寡妻のみ 自分は負け戦の後、故郷の村に戻ってきた、久しく歩いて人気のない路地を見ると、日が力なく照り、空気が物悲しい 居るものといえば狐と狸ばかり、自分を見ては毛を逆立てて啼く、周囲に住んでいるものが居ないかと探したところ、わずか二三の老女が残っていた 宿鳥戀本枝 宿鳥本枝を戀ふ 安辭且窮棲 安んぞ辭せん且つ窮棲せるを 方春獨荷鋤 春に方(あた)って獨り鋤を荷ひ 日暮還灌畦 日暮れて還た畦に灌ぐ 縣吏知我至 縣吏我が至るを知り 召令習鼓卑 召して鼓卑を習はしむ 鳥でさえ塒は恋しいものだ、どんなに荒れ果てても故郷は故郷だ、折からの春の日々に一人で鋤を担い、日がくれてなお畑に水をやる、県の役人は自分が帰ってきたことを知って、鼓や太鼓を習わせようとする 雖從本州役 本州の役に從ふと雖も 内顧無所攜 内に顧るに攜(たずさ)ふる所無し 近行只一身 近く行くも只一身のみ 遠去終轉迷 遠く去らば終に轉(うたた)迷はん 家郷既蕩盡 家郷既に蕩盡す 遠近理亦齊 遠近理亦齊し 地元の仕事に携わるようになっても、家には妻子もいない、どこへでかけるのも身一つ、まして遠くへ旅したならそのまま誰に知られることもなく野垂れ死にするだろう、だが故郷がこんなに荒れ果てた有様では、自分もいづれ同じことになるだろう 永痛長病母 永く痛むは長病の母 五年委溝溪 五年溝溪に委ぬるを 生我不得力 我を生むも力を得ず 終身兩酸嘶 終身兩つながら酸嘶す 人生無家別 人生無家の別 何以為蒸黎 何を以てか蒸黎と為さん 常々心が痛むことは、長年わずらって死んだ母親を、埋葬することもできないことだ、自分を生んでも楽が出来ずに、母親も自分も辛酸を嘗めてきた 自分らはまともな家も持てぬまま死に別れたのだ、どうして健民だなどといえようか この男は国のために一身をなげうって働き続けてきたのだろう。その報いとして、老年に到ってなお家族もなく、自分を生んでくれた母親も悲しい思いを抱きながら死んでいった。それなのにどうしたことだろう。自分を捧げた故郷はまだ荒れ果てたままだ。これでは自分の一生に何の意味があったのか、男は茫然とするばかり、そんなやるせない光景が浮かんでくるようだ。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |