漢詩と中国文化 |
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乾元中寓居同穀縣作歌七首其一:杜甫を読む |
杜甫の雑言古詩「乾元中同穀縣に寓居して歌を作る」(壺齋散人注) 有客有客字子美 客有り客有り字は子美 白頭亂發垂過耳 白頭亂發 垂れて耳を過ぐ 歳拾橡栗隨狙公 歳橡栗を拾ふて狙公に隨ふ 天寒日暮山谷裡 天は寒く日は暮る山谷の裡 中原無書歸不得 中原書無く歸り得ず 手脚凍皴皮肉死 手脚凍皴皮肉死す 嗚呼一歌兮歌已哀 嗚呼(ああ)一歌すれば歌已に哀し 悲風為我從天來 悲風我が為に天より來る ひとりの旅客がいて字は子美といった、白髪頭はぼうぼうとみだれ耳の下まで垂れている、毎年橡栗を拾い歩いているさまは猿回しの猿のよう、寒天の中を日が暮れるまで山谷をほっつき歩くのだ 故郷の中原からは便りもなくなく帰ることもできぬ、手足は凍えてあかぎれだらけだ、気を紛らわそうと歌を歌うと、いっそう悲しく響くだけ、悲風の音が自分にかわって歌ってくれるのだ 苦労してやっとたどりついた同谷であったが、杜甫の一家にとって楽天地ではなかった。杜甫はとりあえず飛龍峡というところに草堂を開いて住み込んだが、安定した生活の糧は得られず、窮乏は募るばかりだった。 そんな同谷での惨めな生活ぶりを歌ったのがこの詩だ。狙公とは猿のこと、その猿が餌を求めて山中をさまようあとをついていって橡栗を拾う、なんとすさんだ光景だろう。 杜甫は結局同谷での生活に見切りをつけ、蜀へと向かって流浪の旅を続ける。この年乾元二年、杜甫は華州から秦州へ、秦州から同谷へ、そして同谷から蜀の成都へと、実に三度も旅を重ねるのである。 |
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