漢詩と中国文化 |
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憶昔:杜甫を読む |
杜甫の七言古詩「憶昔」(壺齋散人注) 憶昔開元全盛日 憶ふ昔開元全盛の日 小邑猶藏萬家室 小邑猶ほ藏す萬家の室 稻米流脂粟米白 稻米 流脂 粟米白く 公私倉廩倶豐實 公私に倉廩倶に豐實たり 九州道路無豺虎 九州の道路に豺虎無く 遠行不勞吉日出 遠行勞せずして吉日出づ 齊丸魯縞車班班 齊丸魯縞車班班 男耕女桑不相失 男耕女桑相ひ失せず 宮中聖人奏雲門 宮中の聖人雲門を奏し 天下朋友皆膠漆 天下の朋友皆膠漆 百餘年間未災變 百餘年間未だ災變あらず 叔孫禮樂蕭何律 叔孫の禮樂 蕭何が律 思い起こせばその昔開元全盛の日には、小さな村でも家々には豊かな蓄えがあった、稻米流脂はあふれ粟米は白く、公私共に蔵の中はいっぱいだった 国中の道路には豺虎がおらず、遠くへも安心して旅ができた、齊?魯縞の人々が乗った車が行き交い、男も女も労働にいそしんでいた、 宮中では聖人たちが雲門の楽を奏し、天下の人々は互いに仲が良かった、百年以上もの間戦乱がなく、叔孫の禮樂や蕭何が律楽が楽しまれていたものだ 豈聞一絹直萬錢 豈に聞かんや一絹直(あたひ)萬錢なるを 有田種穀今流血 田有って穀を種ゑしに今は血を流す 洛陽宮殿燒焚盡 洛陽の宮殿燒焚し盡し 宗廟新除狐兔穴 宗廟の新除狐兔穴す 傷心不忍問耆舊 傷心して忍びず耆舊に問ふに 複恐初從亂離説 複た恐る初めて亂離より説かんことを 小臣魯鈍無所能 小臣魯鈍にして能くする所無し 朝廷記識蒙祿秩 朝廷記識して祿秩を蒙る 周宣中興望我皇 周宣の中興我が皇に望む 灑血江漢身衰疾 血を江漢に灑いで身は衰疾す 一絹が万銭もすることなど聞いたこともない、田さえあれば種をまいたものだったが今では血を流すありさま、洛陽の宮殿は消失し、宗廟の新除には狐兔が穴を掘る始末 心を痛めながら古老に問えば、決まって戦乱のことの始めから聞かされる、 自分は愚鈍で何も出来ないが、その自分を朝廷が官吏の末席に加えてくれた、周の宣王が中興の業を達成したように我が皇帝にもお願いしたい、そこで血を江漢に灑ぎながら身は病に衰えるのを感じるのだ 広徳二(764)年、成都にあっての作。自分の少年時代を回顧しながら、古きよき時代と、今日の戦乱に明け暮れる時代とを比較しながら、平和が再び訪れることを願う。 |
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