漢詩と中国文化
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樓上醉歌:陸游を読む


淳熙元年(1174)の暮、栄州知事代理の職にあった陸游は、成都府路安撫使司参議官への就任を打診された。打診したのは旧来の友人范成大であった。范成大はこの年広南西路計略安撫使(今の広西省方面の軍司令官)として桂林に赴任していたが、淳熙2年中に成都府路安撫使(四川省等西部方面の軍司令官)に転ずることになっていた。そこで赴任に先立って、自分の幕府の参謀として、その地にいた旧知の陸游に声をかけたのだと言われている。陸游はその打診を喜んで受け入れた。というのも、軍事面で巨大な影響を行使することとなる友人の幕府に加われば、陸游の宿念たる金への反攻に、一歩でも近づくことが出来るかもしれないからだ。

陸游は淳熙2年の正月に栄州を離れて成都に赴き、范成大の到着を待った。その范成大は6月に成都に到着した。それ以来約1年間、陸游は范成大の幕閣として活躍の機会を得たが、二人の間はどうもうまくいかなかったらしく、わずか一年で陸游は自ら辞職を申し出るに至った。どんな事情があったのかについては、次稿で見るとして、ここでは成都で范成大を待つ間に作った詩「樓上醉歌」を紹介しよう。

樓上の醉歌(壺齋散人注)

  我遊四方不得意  我 四方に遊んで 意を得ず
  陽狂施藥成都市  狂を陽(いつは)って成都の市に施藥す
  大瓢滿貯隨所求  大瓢 滿ち貯はえて 求むる所に隨ひ
  聊爲疲民起憔悴  聊か疲民の爲に 憔悴を起こす
  瓢空夜静上高樓  瓢空しく 夜静かにして 高樓に上り
  買酒捲簾邀月醉  酒を買ひ 簾を捲いて 月を邀へて醉ふ
  醉中拂劍光射月  醉中 劍を拂へば 光 月を射
  往往悲歌獨流涕  往往 悲歌して 獨り涕を流す
  剗却君山湘水平  君山を剗却すれば 湘水平らかに
  斫却桂樹月更明  桂樹を斫却すれば 月更に明らかなり
  丈夫有志苦難成  丈夫 志有るも 成り難きに苦しむ
  修名未立華髪生  修名 未だ立たざるに 華髪生ず

自分は四方を経巡ったが意を得ず、変人を装い成都の市で薬を商っている、瓢にいっぱい薬を詰め求めに応じて与え、病人のために病気を治してやる(陽狂:変人のふりをする)

瓢の中身が売り切れたので静夜高楼に上り、酒を買い、簾を巻き上げて、月に向かって酔う、醉って剣を払えば月の光を反射し、しばしば悲歌しては一人涙を流すのだ

君山を削り取ってしまえば湘水は平となり、桂樹を切り倒してしまえば月はさらに明るくなる、偉丈夫として志はあるのだが成就できないのを恨みとする、名声をあげないうちに早くも白髪頭になってしまった(剗却:ざんきゃく、削り取ってしまうこと、君山:洞庭湖中にあるという島、斫却:しゃっきゃく、切り倒すこと、桂樹:月に生えているとされる樹木)


過去を振り返っては志のならなかったことを嘆きながらも、将来に向かっては、国家の再興に寄与せんとする野心を述べたもの、ということができるのではないか






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