漢詩と中国文化
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春晩:陸游を読む


臨安に召喚されて天使との謁見を賜った陸游だが、彼に用意されていたポストは「提挙福建路常平茶塩公事」というものであった。これは経済官庁のひとつで、茶や塩の専売を監督するものである。今の福建省に当たる領域をカバーする官庁の長官であるから、格としては決して低くはないが、陸游にとっては満足できるものではなかったろう。それでも陸游は不満をいわず、いったん郷里に帰って休養した後、その年(1178)の暮に任地の福建省に赴いた。

陸游は提挙福建路常平茶塩公事を1年勤めた後、翌年の12月には江南西路に転じた。やはり同じ役職であった。今の江西省撫州において勤務に励んでいた折、淳熙7年(1180,56歳)の夏に江西地方に水害があった。そのときに陸游は、官倉を開いて窮民を救済している。

その撫州での任期中に作った詩に、「春晩」がある。


陸游の七言律詩「春晩」(壺齋散人注)

  五十六翁身百憂  五十六翁 身に百憂
  年來轉覺此生浮  年來 轉た覺ゆ 此の生の浮なるを
  山川信美故郷遠  山川 信に美なるも 故郷遠く
  天地無情雙鬢秋  天地 無情 雙鬢秋なり
  社後燕如歸客至  社後 燕は歸客の如く至り
  春残花不爲人留  春残して 花は人の爲に留らず
  一觴一詠従来事  一觴 一詠 従来の事
  莫笑扶衰又上樓  笑ふ莫かれ 衰を扶けて又樓に上るを

56歳の翁にして身には百の憂いがある、年と共にますます感じるはこの人生のはかなさ、山川はまことに美しいが故郷は遠く、天地は無常にして髪が白くなる(雙鬢:両方の耳のあたりに生えている髪)

春祭りの後、燕が歸客のように帰って来た、春が尽きれば花はとどまることなく散ってしまう、盃を持てば詩を詠ずるのは自分の癖だ、笑い給うな、老いの身で楼閣に上るのを(社:村祭りのこと、歸客:故郷に帰ってくる旅人のこと)






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