漢詩と中国文化
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小園 其三:陸游を読む


淳熙7年(1180、56歳)の暮に、提挙江南西路常平茶塩公事の職を解かれた陸游はいったん故郷へ戻って次のポストを待命した。そして翌年の3月には提挙淮南東路常平茶塩公事に任命されるのだが、提挙江南西路常平茶塩公事在職中に上司の許可を得ずに官倉を開いたことを弾劾されて取り消されてしまう。

そこで陸游は浪人の身となり、淳熙3年の春に権知巖州事に任命されるまでの約5年間、故郷の紹興で祠録を給されて生活した。

七言絶句「小園」四首は、淳熙8年、紹興で隠居生活をしていた折に作った作品である。ここではその第三首を紹介する。


陸游の七言絶句「小園其三」(壺齋散人注)

  村南村北鵓鴣聲  村南 村北 鵓鴣(ぼっこ)の聲
  水刺新秧漫漫平  水は新秧を刺し 漫漫として平らかなり
  行遍天涯千萬里  行くこと天涯に遍く 千萬里
  却從鄰父學春耕  却って鄰父に從って 春耕を學ぶ

村の北や南で雨を知らせる鵓鴣の声が聞こえる、他のに水は苗が植えられ満々として広がっている、これまでに天蓋をくまなく千万里も旅してきたが、いまはこうして隣の親父に農作業を教わっている(鵓鴣:鳥の一種、雨を知らせるといわれる、新秧:植えられたばかりの苗)


役人時代の多忙な生活ぶりに比較した、今の身の上ののんびりとしたさまを、なかば自虐的に歌ったものだろう。






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