漢詩と中国文化
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和陶飮酒:蘇軾を読む


元祐七年(1092)二月、蘇軾は頴州から揚州の知事へ転任した。赴任の道中、彼は下の息子二人を伴って安徽省の所々を視察旅行した。すると、麦畑が青々と広がっているのに、人々の姿が見えないことを不審に思った。聞けば農民は借金の取り立てを恐れて夜逃げしたのだという。

何故こんなことになるのか。凶作の時には、人々は借金に苦しめられるが何とか命をつなぐことはできる、しかし豊作の時には官憲から仮借ない税の取り立てが迫ってくる、農民は税以外にも青苗法による様々な貸し付けを政府から受けているので、それの返済も迫られる。返済できなければ投獄されるのだ。

こんな光景にショックをうけた蘇軾は、新しい職に対する感謝状(揚州謝表)の中で、「豊年も凶年も人民にとっては災難になっている」と述べた。

実際には揚子江一帯の水郷地帯は、この年凶作に見舞われ、年の後半にわたって飢饉が発生した。揚州の知事になった蘇軾を待っていたのは、その対策であった。

だが蘇軾は、地方に長くはいさせてもらえなかった。揚州にもわずか半年しかいない。多忙な毎日の中、蘇軾は陶淵明の詩に慰めを見出した。それ以来、蘇軾は晩年に到るまで、陶淵明に深く傾倒していく。

揚州時代に蘇軾は、陶淵明の飲酒二十首に和して、一連の詩を作っている。


吾飲酒至少,常以把盞為樂,往往頹然坐睡;人見其醉,而吾中了然,蓋莫能名其為醉為醒也。在揚州,飲酒過午輒罷。客去,解衣,槃石薄終日,歡不足而適有餘。因和淵明《飲酒二十首》,庶以彷彿其不可名者,示舍弟子由、晁無咎學士。

吾飲酒すること至って少なけれども,常に盞を把るを以て樂しみと為す,往往にして頹然として坐睡す;人其の醉を見るも,而も吾が中は了然たり,蓋し能く其の醉たるか醒たるかを名すくる莫き也。揚州に在って,飲酒するも午を過ぐれば輒ち罷む。客去り,衣を解き,槃薄(くつろぐ)すること終日なり,歡は足らざれども而も適は餘り有。因って淵明の《飲酒二十首》に和す,庶わくは以て其の名づくる可からざる者を彷彿せしめんか,舍弟子由と晁無咎學士に示す。

其一
                        
  我不如陶生  我は陶生に如かず
  世事纏綿之  世事之を纏綿す
  云何得一適  云何(いか)にして一適を得ること
  亦有如生時  亦生時の如きこと有らん
  寸田無荊棘  寸田に荊棘無し
  佳處正在茲  佳處正に茲(ここ)に在り
  縱心與事往  縱心して事とともに往かしめ
  所遇無復疑  所遇復た疑ふこと無けん
  偶得酒中趣  偶たま酒中の趣を得たり
  空杯亦常持  空杯亦常に持す

自分は陶淵明先生には及ばない、つまらぬことにあくせくしているからだ、どうしたら先生のように、ゆったりとすることができるのだろうか

一寸四方の田んぼに荊棘が生えていなければ、そこは住むに相応しいところだ、心を泰然と構えて、どんなことでも受け入れよう

時には酒中に真ありの境地にいたることもある、それ故盃は常に離さない






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