漢詩と中国文化
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和陶歸園田居六首其三:蘇軾を読む


蘇軾は陶淵明の詩をこよなく愛し、多くの陶詩に次韻している。広陵時代には飲酒20首に和したことがあるが、紹聖2年恵州にあっては、「園田の居に歸る六首」に和した。陶淵明のこの連作は実は5首しかないはずで、6首目は梁の江奄の詩に和したものである。

なお、序文には、次のようにある。「三月四日,游白水山佛跡巌,沐浴于湯泉,晞髮于懸瀑之下,浩歌而歸。肩輿卻行,以與客言,不覺至水北荔枝浦上。晚日葱曨,竹陰蕭然,荔子累累如芡實矣。有父老年八十五,指以告余曰及是可食,公能攜酒來游乎、意欣然許之。歸臥既覺,聞兒子過誦淵明《歸園田居》詩六首,乃悉和其韻。始余在廣陵和淵明《飲酒二十首》,今復為此,要當盡和其詩、乃已耳」


陶の「園田の居に歸る」に和す六首 其三

  新浴覺身輕  新浴 身の輕きを覺え
  新沐感髮稀  新沐 髮の稀なるを感ず
  風乎懸瀑下  懸瀑の下に風(すず)み
  卻行詠而歸  卻行して詠じて歸る
  仰觀江搖山  仰いで觀れば 江 山を搖がし
  俯見月在衣  俯して見れな 月 衣に在り
  步從父老語  步して父老に從って語る
  有約吾敢違  約有り 吾敢て違はんや

入浴したばかりで身は軽いのを覚え、洗髪したばかりで髪の薄いのが気になる、滝の下でしぶきを浴びて涼み、帰り道には詩を吟詠する

見上げれば川の水が山を揺るがしているかのような眺め、うつむけば月の光が衣を照らしている、老人に従って歩きながら、また来るよと約束した


ちなみに、もととなった陶淵明の詩は次の如くである。

  種豆南山下  豆を種う南山の下
  草盛豆苗稀  草盛んにして豆苗稀なり
  晨興理荒穢  晨に興きて荒穢を理へ
  帶月荷鋤歸  月を帶び鋤を荷ひて歸る
  道狹草木長  道狹くして草木長じ
  夕露沾我衣  夕露我衣を沾す
  衣霑不足惜  衣が霑るるは惜むに足らず
  但使願無違  但だ願ひをして違ふこと無から使めよ






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