漢詩と中国文化 |
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和陶郭主簿二首:蘇軾を読む |
蘇軾は陶淵明を深く愛し、その詩のすべてに和した。和するとは、原詩の韻をそのまま用いて新しい詩を作ることである。次韻ともいう。 蘇軾は恵州を出る時点で、陶淵明の詩124首のうち109種に次韻していた。彼は澹州にいるときに、残りの15首に次韻し、年来の抱負を成就させたのだった。 陶の「郭主簿」に和す二首 清明日聞過誦書,聲節閑美,感念少時,悵然追懷先君宮師之遺意,且念淮、德二幼孫。無以自遣,乃和淵明二篇,隨意所寓,無復倫次也。 清明の日、過の書を誦するを聞くに,聲節閑美なり,少時を感じ念ひつつ,悵然として先君宮師之遺意を追懷し,且つ淮、德の二幼孫を念ふ。以て自ら遣る無し,乃ち淵明の二篇に和す,意の寓する所に隨ひ,復た倫次無き也。 其一 今日復何日 今日 復た何の日ぞ 高槐布初陰 高槐 初陰を布く 良辰非虛名 良辰 虛名に非ず 清和盈我襟 清和 我が襟に盈つ 孺子卷書坐 孺子 書を卷いて坐し 誦詩如鼓琴 詩を誦すること 琴を鼓するが如し 卻念四十年 卻って念ふ四十年 玉顏如汝今 玉顏 汝が今の如くなりぬ 今日はいったい何の日なのか、高い槐の木には木陰が出来ている、この良き日は虚名ではない、すがすがしさが我が襟元にも満ちている 我が子過が本を前にして座り、詩を誦する声がまるで琴の音のようだ、思えば今から40年前の自分も、今のお前と同じだった 閉戶未嘗出 戶を閉じて未だ嘗て出でず 出為鄰里欽 出でては鄰里の欽するところと為る 家世事酌古 家世 古を酌むを事とし 百史手自斟 百史 手自ら斟す 當年二老人 當年の二老人 喜我作此音 我が此の音を作すを喜ぶ 淮德入我夢 淮德 我が夢に入る 角羈未勝簪 角羈 未だ簪に勝(た)へず 孺子笑問我 孺子 笑って我に問ふ 君何念之深 君 何ぞ之を念ふこと深きと 門を閉じて外出せず、外出すればそのたびに近隣の人々に喜ばれたものだ、家は代々訓詁学に従事していたので、歴史書などは自分らで編集したものだ、あの頃父と祖父の二人は、私が声をあげて書を読むのを喜んだ、 二人の孫淮と德が、我が夢の中に現れた、二人ともまだ髪が伸びず簪を指すこともままならぬ、すると過が笑いながら私に言った、何をそんなに考え込んでおられるのですかと 家世は家が従事する業、手自斟は自分で編纂する意であろう、 息子の過は蘇軾の晩年にただ一人付き添って、蘇軾が唯一頼りにしていた。淮と德はふたりとも過の息子で、父親とは離れ離れになって、恵州に住んでいた。 |
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