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鏡王女をめぐる相聞:万葉集を読む


万葉集巻二は、相聞と挽歌からなっている。相聞の部は、さまざまな男女の間に交された恋の歌を収めているが、まず眼を引くのは鏡王女をめぐる相聞歌である。鏡王女は、額田王の姉で、藤原鎌足の妻となり、不比等を生んだ女性だ。妹の額田王同様に、歌の才能に恵まれていた。その彼女がまだ若い頃、鎌足の妻になる前に、天智天皇から思いを寄せられていたらしい。巻二にはそんな思いを感じさせる歌が収められている。

  妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを(91)
これは天智天皇が鏡王女に贈った歌で、趣旨は、お前の家をたえず見続けていたいものだ、そのお前の家が大和の大島の峯にあったらいいものを、そうしたら毎日眺めることができるから、というもの。鏡王女はおそらく大和に住んでいて、天智天皇は都の近江にいたのだろう。そこから大和のほうを眺めると大島の峯が見える、その峯の上に家があれば、それを毎日眺めながら愛する人をしのぶことが出来る、という趣旨だ。「みましを」と「あらましを」が響きあって言葉のリズムを作り出している。

この歌は、鏡王女の安否について天智天皇が気にしてことをあらわしたもので、必ずしも恋愛感情を盛り込んだものではないとする読み方もあるが、それでは歌の風情が損なわれるだろう。やはり相聞の歌と受け取りたい。

天智天皇に対して鏡王女が答えた歌が続いて収められている。
  秋山の木の下隠り行く水の我れこそ益さめ御思ひよりは(92)
秋山の木の下を流れる水のようにあらわにはなっていませんが、わたしのあなた様をお慕いする気持は、あなた様が私を思ってくださる気持より強いのですよ、という趣旨の歌だ。これはまぎれもなく恋の歌であって、この歌とセットになっているからこそ、上の天智天皇の歌も恋の歌と受け取るべきなのである。

鏡王女は額田王の姉だと言ったが、天智天皇はこの才能ある姉妹の両方を愛したことになる。もっとも鏡王女の方は、後に自分の腹心である鎌足に払い下げ、そのことで鏡王女は、藤原一族の大いなる母となったわけである。

藤原鎌足と鏡王女の相聞歌が、上記の歌に続いて収められている。まず、鏡王女が鎌足に宛てて詠んだ歌。
  玉櫛笥覆ひを安み明けていなば君が名はあれど吾が名し惜しも(93)
玉櫛笥の蓋をあけるのが容易なように、あなたが夜明けに出て行くことで、わたしたちの仲が容易に明らかになるでしょうが、あなたはともかく、わたしのほうは噂を立てられて迷惑しますわ、どう責任をとってくれるのですか、とせまっている様子が伝わってくる歌である。鏡王女はかなりはきはきした性格だったらしい。

これに対して鎌足が答えた歌。
  玉櫛笥みむろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ(94)
三輪山のさな蔓がいつもはって(寝て)いるように、お前と一緒に寝ないではいられないのだ、という趣旨の歌だが、そこには噂を気にするあまり、自分につらくあたっている女へ、率直な気持を、率直な言葉で伝えたものだ。お前と寝ずにはいられないから、こうしてお前と寝たのではないか、そう開き直っている鎌足の飾らぬ人柄が伝わってくる歌だ。

「みむろの山」は三輪山のことと思われる、「有りかつましじ」の「かつ」は、がてなくに、がてぬかもの「がて」と同じく堪えるという意味、「ましじ」は「まじ」の原型で、打消しの推量をあらわす。全体で、耐えられないだろう、という意味になる。





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