春は植物が芽吹き、生命の更新を感じさせる季節だ。現代人の我々も、春になれば心の騒ぐのを感じるものだが、万葉人もまた同様だったようだ。春の訪れに生命の息吹を感じ、生きている喜びを詠った歌が多く収められている。とりわけ萌え出づる植物に、恋心の高まりを重ね合わせている次の歌などは、万葉人の純真な心を感じさせてほほえましい。 冬こもり春の大野を焼く人は焼き足らねかも我が心焼く(1336) これは、野焼きを詠ったものだ。冬が去って春が来ると野焼きをして新たな耕作の準備をする。その野焼きの火が、枯れ草を焼くだけではもの足らずに、私の心まで焼いてしまう、と詠ったもの。おそらく、野焼きする男への女の恋心を詠ったものだろう。 なお、伊勢物語の一段に、 武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり の一首があるが、これは状況設定こそ異なるが、万葉集の上の歌とのつながりを感じさせる。 次は、春菜摘みの歌。万葉の時代にすでに、早春の野山で春の七草を摘んで、粥を食べる風習があったようだ。乙女たちが連れ立って野山に春菜を摘みに出かけてゆく。半分は行楽気分だったろう。次の歌はそんなうきうきした気分を詠ったものだ。 春山の咲きのをゐりに春菜摘む妹が白紐見らくしよしも(1421) をゐりには、木の枝のたわみのことをさす。枝がたわむほど花が咲いているという趣旨で、ここで咲いている花は山桜なのだろう。その傍で乙女が春菜を摘んでいる、彼女のかわいい白紐が見える。それを見ると心が騒ぐ、といった気持を詠ったものだ。 次の歌は、摘んだ春菜を粥にする光景を詠ったもの。 春日野に煙立つ見ゆ娘子らし春日のうはぎ摘みて煮らしも(1879) 春日野に煙が上がっているのが見えるが、それは乙女らが春の野で摘んだよめなを煮ているのだろう、という趣旨。うはぎはよめなのこと。キク科の植物だ。 春に食べる縁起物の食べ物としては、春菜のほかにゑぐがあった。ゑぐとはくわいのことで、日本人には古来よく食われていたものだが、春一番に収穫したものは特別に喜ばれたようだ。そんなゑぐの葉を摘む様子を詠んだ歌がある。 君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪消の水に裳の裾濡れぬ(1839) あの人のために山田の沢でゑぐの葉を摘んでいると、雪解け水に裳の裾が濡れてしまう、でも気にしないで摘みましょう、という気持を詠んだものだ。 春の野の花の代表といえば山吹の花だろう。草花ではなく、低木に咲く花だが、そのしとやかな風情が春の野のしっとりとした雰囲気に良く似合っている。大田道灌の有名な歌を引き合いに出すまでもなく、山吹は昔から男女を結びつける役割をも期待されていた。 かはず鳴く神なび川に影見えて今か咲くらむ山吹の花(1435) かじかが鳴く神なび川に山吹の花の影が映っているが、それが今にも咲きそうに見える、という趣旨。山吹が咲くのは、単に花が咲くということではなく、恋が成就することをも意味しているようだ。 次は山吹とつぼスミレを一緒に詠みこんだ歌。 山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛りなりけり(1444) 山吹が咲いている野辺につぼスミレが咲いている、この春の雨を受けて盛んに咲いている、という趣旨。つぼスミレはスミレの一首で、花弁がつぼのような形をしている。 春の野に咲く花としては、山吹と並んで馬酔木があるが、山吹がしとやかなのに対して、こちらは情熱的な印象がある。次の歌はその一例。 我が背子に我が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり(1903) あの人に私が恋焦がれる気持は、奥山の馬酔木が花の盛りのように、燃え盛るような気持なのです、と詠ったもので、女性の恋の情熱を馬酔木に事寄せて詠ったもの。万葉の時代の女性は、このように情熱的だったわけだ。 |
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