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夏の歌:万葉集を読む


万葉集中春の到来を喜ぶ歌は数多いが、夏の到来については、喜ぶは無論、あえて触れる歌も少ない。そんな中で次の一首が目を引く。
  春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山(28)
これは、藤原の宮に天の下知らしめす天皇の御製歌と詞書にあることから、持統天皇の歌である。趣旨は、春が過ぎて夏が来たようだ、白妙の衣を干している光景が天の香具山に見える、というもので、造営されたばかりの藤原宮から天の香具山を臨みながら詠ったものだと解釈されている。

真淵の万葉考に、「夏のはじめつ比、天皇埴安の堤の上などに幸し給ふ時、かの家らに衣をほして有を見まして、実に夏の来るらし、衣をほしたり、と見ますまにまにのたまへる御歌なり」とあると茂吉が指摘しているように、夏の初めに衣を干すのは、万葉時代の日常の風景だったようだ。なお、この歌は、小倉百人一首には
  春過ぎて夏きにけらし白妙の衣干すてふ天香具
という形で乗っている。それが現在の通説にある(上述のような)形に統一されたのは、契沖以来である。

万葉集の中で夏を感じさせる歌には、ホトトギスを詠ったものが多い。ほととぎすは初夏にやってくる渡り鳥なので、夏の到来を告げるものとして相応しかったし、また夏の間中鳴き続けるので、夏の季節鳥として観念されたからだろう。ほととぎすは、切羽詰ったような鳴き方をするので、人々はその鳴き声に、人間の感情を重ね合わせた。次はその一例。
  ほととぎすいたくな鳴きそ汝が声を五月の玉にあへ貫くまでは(1465)
ほととぎすよ、そんなにはげしく鳴かないでおくれ、お前の声を五月の節句に飾る薬球に通し貫くまでは、という趣旨。五月の節句の飾り物である薬玉にホトトギスの声を閉じ込める風習があったのだろうか。歌手は天武天皇の后藤原夫人。

ホトトギスについては、別途取り上げるつもりだが、ここではもう一つ、ホトトギスを歌った長歌を紹介しておきたい。
  ますらをの出で立ち向ふ
  故郷の神なび山に
  明けくれば柘(つみ)のさ枝に
  夕されば小松が末(うれ)に
  里人の聞き恋ふるまで
  山彦の 相響(とよ)むまで
ほととぎす妻恋すらし さ夜中に鳴く(1937)
ますらおが出でたち向かってゆく故郷の神なび山には、夜明けには柘の枝で、夕方には松の梢で、里人が聞きほれるほど、山びこが響き渡るほど、ホトトギスが妻を恋うて、夜中じゅう歌っていることよ、という趣旨。ここでますらおとは、歌を歌う自分自身のことを言う。その自分が向かう故郷では、ホトトギスが夜中じゅう歌っているのは、自分の気持をおしはかってのことだ、と言っているのであろう。

この歌は、古歌集よりとったとなっており、次のような反歌がついている。
  旅にして妻恋すらしほととぎす神なび山にさ夜更けて鳴く
このほうが、旅人であるますらおの気持に寄り添った形になっている。

夏は生命の横溢する季節。その横溢は夏草によって象徴される。そんなことから夏草の繁殖振りを、恋のさかんなことにたとえる歌が万葉集には多い。次はその一例。
  人言は夏野の草の繁くとも妹と我れとし携はり寝ば(1983)
人のうわさが夏草のようにうるさくとも、お前と吾と二人一緒に寝れば、どうなろうとかまわない、と恋人の大胆な気持を詠ったものだ。人の噂のうるささを夏草のうるささにたとえているわけである。

一方、恋心の激しさを、夏草のさかんな様子に喩えた歌もある。たとえば、次の一首。
  このころの恋の繁けく夏草の刈り掃へども生ひしくごとし(1984)
このごろの私の恋心が激しいのは、夏草をいくら刈りとってもすぐにまた生ええてくるのと似ていることよ、と言って、自分の恋心を相手に訴えているのであろう。

夏の風物のひとつにうなぎがあるが、そのうなぎを詠んだ珍しい歌がある。
  石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻捕り食せ(3853)
これは大伴家持が石麻呂という老人をからかって詠んだもの。この老人は身体がいたく痩せ、いくら飲み食いしても、その姿が飢餓者のように見えるので、家持が夏やせにきくといううなぎを食うように、勧めている歌である。うなぎは万葉の時代から、滋養強壮の食い物としての名声が高かったものと見える。





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