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花橘を詠む:万葉集を読む


橘はミカン科の常緑樹で、日本に自生する唯一の柑橘類という。初夏に花を咲かせ、秋に実がなる。実の大きさはミカンよりひとまわり小さく、金柑をやや大きくした感じである。酸っぱすぎて、そのままでは食べられないので、つぶしてジャムのようにして食べる。もっとも橘の実を食べるという話は、和歌の世界では出てこないのではないか。

橘は常緑樹であるので、古来めでたい木とされてきた。またその花は夏を代表する花として、好んで詠われた。万葉集には花橘を詠んだ歌が、七十二首もある。まずは、橘のめでたさを詠った歌。
  橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木(1009)
橘の常緑のめでたさを詠ったこの歌の作者は聖武天皇。葛城の王に橘姓を与えたさいの御製歌である。橘が永遠に栄える常緑樹であるように、そなたの家も永遠に栄えるように祈ろう、という気持ちが込められている。王には本来源氏姓が与えられるのだが、葛城の王はそれをはばかって、母方の姓である橘を選んだとされる。それに応えた聖武天皇が、この歌を添えて橘姓を与えたというわけであろう。

花橘は恋の仲立ちとしての役割を期待されていたようで、花橘にからめて恋の気持を相手に投げかける歌がいくつか詠まれている。次はその一例。
  暇なみ五月をすらに我妹子が花橘を見ずか過ぎなむ(1504)
花橘の咲く五月になったというのに、あなたは閑がないといって、わたしの家に咲いた花橘を見に来ないままなのですか、是非見に来てわたしと会ってください、という気持ちが込められた歌であろう。

次も同じような気持を詠った歌。
  我れこそば憎くもあらめ我がやどの花橘を見には来じとや(1990)
わたしのことは憎くもありましょうが、せめて私の家の花橘を見にきてはどうでしょうか、ぜひそうしてください、という気持ちがこもった歌である。上の歌とともに、花橘をだしにして、恋の駆け引きをしているわけであろう。万葉人は、花の盛りに恋の高まりを重ね合わせて、駆け引きに興じていたものらしい。

花の盛りが恋の高まりを思わせるとすれば、花の散るのが恋の終わりと結びつくのは自然のこと。つぎの歌は、そんな気持を詠んでいる。
  我が宿の花橘は散りにけり悔しき時に逢へる君かも(1969)
わたしの家の花橘は散ってしまいました。そのような時にあなたとお会いしたのは残念なことです、という趣旨。花が散ってしまったことが、容色の衰えを物語っているわけである。せめてもうすこし若かったときにあなたとお会いしたかった、という気持ちが伝わってくる。歌の内容からして、女の歌と思われる。

次は逆に、男から女にあてた歌。
  橘の花散る里に通ひなば山霍公鳥響もさむかも(1978)
橘の花が散る里を、あなたのもとに通っていくと、ほととぎすがうるさく鳴き騒いでいます、という趣旨。ほととぎすのほうにも、恋との結びつきを感じさせる要素があるのだが、ここの場合には、口さがなない噂を、ほととぎすの声に喩えているのだと思う。男が何故、そんな噂話を気にするのか、わからないところもあるのだが。

次の二首は、橘の実を詠んだもの。
  我が宿の花橘のいつしかも玉に貫くべくその実なりなむ(1478)
  我が宿の花橘は散り過ぎて玉に貫くべく実になりにけり(1489)
いづれも大伴家持の歌。橘の実を玉のように糸に貫いて吊るす習慣が背景にある。あるいはそうして作った飾り物を髪にかざることもあったようだ。

次は、橘に実がなるように、男女の間にも実がなるのだろうかと詠った歌。
  橘の本に我を立て下枝取りならむや君と問ひし子らはも(2489)
橘の木の下にわたしを立たせて、下枝をとりながらあなたはおっしゃった、われわれの恋も成就して実をむすぶだろうか、と。恐らく女が男に向かって詠んだものだろう。





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