万葉集を読む

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雁を詠む:万葉集を読む


雁は、鴨の仲間と同じく秋にやってきて一冬を過ごす。それゆえ秋を告げる鳥として詠われることが多い。雁は飛びながらも妻を呼ぶ声をあげることから、鹿同様に妻問いのイメージと結びついている。雁の別名を「かりがね」というが、これは雁の鳴き声という意味である。その泣き声が雁全体を現すようになったわけで、換喩の代表的な事例といってよい。

万葉集には雁を詠んだ歌が六十数首ある。一方鴨を詠んだ歌も二十数首あるが、傑作は雁を詠んだものに多い。まず、巻八から一首
  秋の田の穂田を雁がね暗けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも(1539)
天皇御製歌とあるが、これは聖武天皇だろうと斎藤茂吉は言う。歌の趣旨は、秋の収穫を迎えた田の上を、雁がまだ暗い夜の闇に鳴き渡ってゆく、というもの。「秋の田の穂田を」までは助詞で、「刈り」と「雁」にかけていると、これも茂吉の説。茂吉はこの技巧のために、歌の流れがかえって損なわれていると言っているが、夜の闇に仮が鳴き渡ってゆくイメージはよく表わされているのではないか。

ついで、巻九から、柿本人麿歌集所載歌。
  巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし(1699)
巨椋の入江とは、かつて奈良県にあった巨椋池のこと。射目人は、繁みに隠れ臥して弓を射る人のこと。一首の趣旨は、巨椋池の水が大きな音をたてている、その音は伏見の田のほうへと渡っていく雁がたてているらしい、というもの。伏見の伏が、地名の伏見と射目人が伏すさまと、両方に掛っている。そこにやや技巧を感じさせるのは、上の歌と同様だ。

次も、巻九柿本人麿歌集所載歌から。
  さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空ゆ月渡る見ゆ(1701)
弓削皇子に献る歌三首のうちのひとつで、趣旨は、夜が更けたらしい、雁の鳴き声が聞こえる空に、月が傾くのがみえる、というもの。これについ茂吉は、弓削皇子に献る歌ということを根拠にして、そこに寓意を見る見方があるが、それは余計な見方であって、素直にそのまま鑑賞すべきだといっている。素直に読めばこの歌は、未明の空に傾く月を背景にして渡ってゆく雁のイメージを、視覚的に表現したものだと受け取れる。

次は、巻十から、旅先で見た雁を詠ったもの。
  秋風に大和へ越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲隠りつつ(2128)
秋風の吹く中を、雁が大和のほうへ越えてゆくのが見える、その姿がいよいよ遠ざかり、雲のなかに消えていった、というような趣旨。雁が大和へ向かって渡ってゆくのを見ている人も、大和へ向かう旅の途中にあるのだと、受け取れる。そうだとすれば、この人は故郷へ向かう旅を、同じく故郷へ向かう雁に追い越され、そこに望郷にはやる念を込めたのだとも受け取れる。

同じような趣旨の歌が、ちょっと先にもある。
  秋風に山飛び越ゆる雁がねの声遠ざかる雲隠るらし(2136)
これは、秋風の吹く中を、山を越えてゆく雁の声がだんだん遠ざかってゆく、どうやら雲のなかに隠れてしまったようだ、というような趣旨。同じく、秋風と雁の組み合わせを詠っているが、前者に比べると、茂吉のいうように、歌の格が劣るようである。

やはり巻十の「雁を読む」から。
  朝に行く雁の鳴く音は我がごとく物思へれかも声の悲しき(2137)
朝早く飛んでゆく雁の鳴き声は、悲しく聞こえる、まるで私のように物思いをしているのだろうか、という趣旨。「かも」は疑問の「かも」である。私の物思いとは、妻を求める思いである、その私のように雁も妻を思って鳴いているのだろうと、問いかけているわけである。

次は、雁の鳴き声を女の悲鳴に喩えた歌。
  出でて去なば天飛ぶ雁の泣きぬべみ今日今日と言ふに年ぞ経にける(2266)
私が出かけるというと、お前が空を飛ぶ雁のような声を出して泣くと思うから、今日こそ今日こそと引き伸ばしているうちに、年月が過ぎてしまった、という趣旨。このように雁の鳴き声を女の悲鳴に喩えるのは、雁が男女むつましいことに、万葉人が感心したことを反映している。

次は、遣新羅使の一行が、引津の亭(福岡県糸島郡志摩町のあたり)に停泊したときに作られた歌七首のうちのひとつ。
  天飛ぶや雁を使に得てしかも奈良の都に言告げ遣らむ(3676)
空を飛ぶ雁を使者にしたいものだ、そうして奈良の都に自分たちの思いを伝言しよう、という趣旨。万葉時代の人々は、雁に伝書鳩のような役割を期待していたようだ。





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