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雪を詠む:万葉集を読む


万葉集には、雪を詠んだ歌が百五十首以上もある。それらが、冬の季節感を詠んだ歌の大部分を占める。日本人は、雪について、かなりきめ細かい感性を持って接していたといえるが、そのことは雪を表現する言葉の多様さにも現われている。淡雪、沫雪、深雪、初雪、白雪、はだれ雪、などといった言葉がそれである。

雪の歌のなかでも、山部赤人の次の歌は、日本の象徴である富士のいただきに降り積もった雪を歌ったものとして、とりわけ愛唱されてきたものだ。
  田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける(318)
これは、富士の高嶺を賛美した長歌の反歌として詠まれたもので、説明の必要がないほど、わかりやすく、しかも大らかな歌である。「田子の浦ゆ」の「ゆ」の使い方が効果的だといったのは茂吉だが、彼は、この「ゆ」は「より」として「打ち出て」にかかるとともに、見わたすという意味もあるので、「見れば」にもかかると指摘している。しかし歌自体は、そんな説明が不要なほど、素直な感じがする。

次は、聖武天皇が酒人女王を思いながら詠んだという歌。
  道に逢ひて笑まししからに降る雪の消なば消ぬがに恋ふといふ我妹(624)
道であって微笑みかけたら、すぐ消えてしまう雪のように、消え入るように私のことを恋いしたっているあなたよ、と言う趣旨。恋心を消えいる雪に喩えている歌は、他にもある。

次は、雪を白梅に喩えた歌。
  我が宿の冬木の上に降る雪を梅の花かとうち見つるかも(1645)
我が家の庭の冬木の上に降る雪をふと見ると、梅の花と見違えるほどです、という趣旨。当時の梅の花は白く、それが咲いた様子が、雪の積もったように見えたことから、このような歌が生まれた。歌手は巨勢宿奈麻呂。

次は、雪見の宴で詠まれた歌。
  池の辺の松の末葉に降る雪は五百重降りしけ明日さへも見む(1650)
池のほとりの松の末葉に降る雪は、五百重にも降り積もれ、明日もまた見ようと思うから、という趣旨。詞書に、内裏の西の池に(聖武)天皇が臨座し、(雪見の)宴を催した際に詠まれたとある。歌手は未詳だが、安倍虫麻呂と伝承されているともいう。

巻十「冬の雑歌」の冒頭には、柿本人麿歌集から取られた歌が収められているが、そのうち雪を詠んだ歌を三首。まず、次の一首。
  あしひきの山かも高き巻向の崖の小松にみ雪降りくる(2313)
巻向のあたりは高い山なのだ、その山の崖の小松に雪が降ってくる、という趣旨。「あしひきの」は山の枕詞、「山かも高き」は倒置法の用例で、「高き山かも」という意味だ。そういう点で技巧を感じさせる歌だが、詠まれているないような素直な気持だ。要するに、崖の小松の枝に雪が降り始めたということを詠っているにすぎない。なお、この小松は、小さい松という意味ではなく、ただ松というところを、小という修飾語をつけたもの。

次は、三首のうちの二首目。
  巻向の桧原もいまだ雲居ねば小松が末ゆ沫雪流る(2314)
巻向の桧原にはまだ雲がかかっていないというのに、小松の枝からは降り積もった粉雪が流れ落ちることよ、という趣旨。前の歌と同じ状況を詠んだものと思われる。「末ゆ」は,「うれゆ」と読み、枝先からという意味。この歌の「小松」も小さい松ではなく、枝先から雪がこぼれるほどの大きな松である。

次は、三首のうちの三首目。
  あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば(2315)
雪手の山道が見えないのは、白橿の枝もたわわにしなるほど、雪が降ったからだ、という趣旨。山道が見えなくなるほど雪が降っていることと、樫の木の枝がしなるほど雪が積もっていることを重ね合わせて、雪の情景を情緒豊かに表現した歌だ。

次は、巻十冬の雑歌の「雪を詠む」から。
  我が背子を今か今かと出で見れば淡雪降れり庭もほどろに(2323)
わたしのいとしい人のくるのを今か今かと思って外へ迎えに出てみれば、淡雪が降っています、庭をうっすらとそめるほどに、と言う趣旨。男を待つ女心の切なさを詠ったものだろう。雪が降ってきたから、もう男は来ないかもしれない、そんなかなしい気持ちが、この歌からは伝わってくるようである。





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