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冬梅を詠む:万葉集を読む


万葉集には、梅の花を詠った歌が百十九首あるが、そのうち三分の一ほどが冬梅を詠ったものである。その冬梅は、白い花を咲かすので、雪が積もったさまに似ていた。そこで冬梅の歌は、雪と一緒に詠われることが多かった。次は、大伴旅人のものと思われる歌二首。
  残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも(849)
  雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも(850)
一首目は、残雪と共に咲いている梅の花は、雪が消えたあとまで咲き残っていて欲しいという趣旨で、二首目は、梅の花が雪の色を凌いで咲き誇っている、その花の盛りを一緒に見る人がいればよいのに、という趣旨である。どちらも、雪と梅とをライバル同士に見立てている。

次は、巻八から、大伴坂上大郎女の宴会の席での歌。
  酒杯に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬともよし(1656)
杯に梅の花を浮かべて、親しい人同士で飲んだ後は、もう花が散ってもよい、と言う趣旨。万葉の時代には、菊ではなく梅の花を杯に浮かべて飲んだことが伺われる。この歌に和する歌というのが、この次に載せられている。「官にも許したまへり今夜のみ飲まむ酒かも散りこすなゆめ」 これには、次のような詞書が添えられている。「右、酒は官に禁制して称はく、集宴すること得ざれ、ただし、親々一二にして飲楽することは許す、といふ。これによりて和する人この発句をつくる」 この時代、大規模な宴会を催して騒ぐことは禁じられていたようである。

次は、大伴宿禰駿河麻呂の歌。
  梅の花散らすあらしの音のみに聞きし我妹を見らくしよしも(1660)
梅の花を散らす嵐の音のような噂話に聴いていたあなたを、このように直接見るのはすばらしいことです、と言う趣旨。かねて思っていた人に直接会えた喜びを詠ったものだ。梅の花の散るさまが嵐に喩えられ、その嵐が音を連想させ、さらにその音から噂話を導くという具合に、言葉が言葉の連想を次々と呼び起こす様が面白い。

次も巻八から、紀小鹿女郎の歌。
  久方の月夜を清み梅の花心開けて我が思へる君(1661)
月夜が明るいので、梅の花が開くように私の心も開いて、あなたのことを思っていますよ、という趣旨。冬の相聞の部に収められているから、冬の月夜に咲く梅を詠んだのだろう。

次は巻十から、なかなか咲かぬ梅を詠んだ歌。
  雪寒み咲きには咲かぬ梅の花よしこのころはかくてもあるがね(2329)
雪が寒いので、なかなか梅の花が咲かないで居るが、それでもよい、このごろはそんなものなのだ、という趣旨。

次は前の歌とは逆に満開になった梅の花の散るさまを詠んだ歌。同じく冬の雑歌のなかにある。
  誰が園の梅の花ぞもひさかたの清き月夜にここだ散りくる(2325)
誰の家に咲く梅の花だろうか、明るい月夜にこんなにも散っていることよ、という趣旨。

次は巻十冬の相聞の部から一首。
  我が宿に咲きたる梅を月夜よみ宵々見せむ君をこそ待て(2349)
我が家に咲いている梅の花を、月夜が明るい宵ごとにお見せしましょう、あなたをお待ちしています、という趣旨。女が梅の花にことよせて男に声をかけている様子が伝わってくる。この時代、女から男に宛てた歌は、だいたい逢瀬の申し込みだった。

次は、巻十九から、石上朝臣宅継が宴会の席上詠んだ歌。
  言繁み相問はなくに梅の花雪にしをれてうつろはむかも(4282)
うわさがうるさいのでお会いできないうちに、梅の花がしおれて散ってしまいそうです、という趣旨。これは男女の間を詠ったものではなく、宴会の招待が遅れた言い訳のようである。みなさんと宴会を持つことが遅れて、梅の花が散りそうになり、申し訳ない、といった気持か。





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