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筑波山に登る歌:万葉集を読む


筑波山は、常陸の国のシンボルであるとともに、東国の山岳信仰の中心地であった。二つの頂をもち、それぞれを男峰、女峰と呼び、男女の神として広い地域で信仰された。その筑波山に、常陸の国の役人として赴任した高橋虫麻呂は何度か登ったようで、筑波山に登った様子を詠った歌が万葉集の巻九に収められている。

まず、検税使大伴卿の筑波山に登りし時の歌。この大伴卿が誰をさすかは特定できないが、大伴氏の一族に属するもの、宿奈麻呂、潔足、牛のうちの一人だろうと思われる。その人が中央政府の検税使として常陸の国にやってきたときに、筑波山に登ることを強く希望した。そこで常陸の国の役人をしていた虫麻呂が、大伴卿を案内して筑波山に登り、その折の感慨を長歌にこめて詠った。

  衣手常陸の国の 二並ぶ筑波の山を 
  見まく欲り君来ませりと 暑けくに汗かき嘆げ 
  木の根取りうそぶき登り 峰の上を君に見すれば 
  男神も許したまひ 女神もちはひたまひて 
  時となく雲居雨降る 筑波嶺をさやに照らして 
  いふかりし国のまほらを つばらかに示したまへば 
  嬉しみと紐の緒解きて 家のごと解けてぞ遊ぶ 
  うち靡く春見ましゆは 夏草の茂くはあれど 
  今日の楽しさ(1753)
   反歌
  今日の日にいかにかしかむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も(1754)

衣手の常陸の国の、男女二柱の神がやどる筑波の山を、大伴卿が見たいといわれるので、暑い中を汗をかきつつ、木の根をつかみながら必死に登り、頂上に登って君に案内さあしあげた。すると、男神も許したまい、女神も霊力を現されて、いつもは雨が降っているこの山の頂を照らしなされて、どう見えるか気がかりだった国の名所を、はっきりと示したまわれた。嬉しさで紐の結び目もほどけ、家にいるような気持ちでくつろいだ。霞のうちなびく春に見るよりも、夏草が茂る今日のほうが楽しいことよ。
反歌のほうは、今日の日に及ぶ日があろうか、昔筑波山に人が登ったというその日に比べても今日のほうがいっそうすばらしい、という趣旨。

夏草云々とあることから、この登山が夏の盛りのことだったことがわかる。夏は春に比べれば、天気が安定しているので、山頂からの展望もよかったのだろう。その展望のすばらしさを、さりげなく歌い上げている。一首のミソは、その素晴らしさが、山の神様の賜物と詠うことで、それを通じて、人々の山岳信仰に敬意を表するとともに、中央の役人の国見ぶりをたたえているわけであろう。虫麻呂は抜け目のない人だったようだ。

次は、虫麻呂が単独で登ったらしい筑波山登山の様子を詠ったもの。

  草枕旅の憂へを 慰もることもありやと 
  筑波嶺に登りて見れば 
  尾花散る師付(しつく)の田居に 雁がねも寒く来鳴きぬ 
  新治の鳥羽の淡海も 秋風に白波立ちぬ 
  筑波嶺のよけくを見れば 長き日(け)に思ひ積み来し 
  憂へはやみぬ(1757)
   反歌
  筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな(1758)

草枕旅のつれづれを慰めることもあろうかと、筑波山に登ってみれば、尾花の穂が散る師付の田のあたりでは雁が寒い中を飛んできて鳴き、新治の鳥羽の沼には秋風に白波が立ち、筑波山のすばらしい峰を見ると、長い間積もっていた憂鬱な気分も晴れてしまった。
反歌のほうは、筑波山のふもとの田んぼで稲刈りをする娘に贈るためにもみじの葉を手折ろう、という趣旨。

これは、秋に筑波山に登ったときの歌だろう。山の頂から、麓の風景を俯瞰することで、気持ちがすっきりしたとうたっている。




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