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田辺福麻呂の挽歌:万葉集を読む


田辺福麻呂は、大伴家持とほぼ同時代人で、おそらく下級官吏だったと思われる。万葉集巻十八には、天平二十年の春、越中の国守だった家持の屋敷に、福麻呂が左大臣橘家の使者として赴き、宴席にはべりながら、家持らと歌を交わしたことが触れられている。

その福麻呂はまた、東国にも出張したことがあったようで、その出張の途次の体験を歌に詠っている。興味深いことに、巻九に収められたその折の歌(三つの長歌と短歌あわせて七首)はいずれも死者を弔う挽歌である。

まず一首目は、「足柄の坂を過ぐるに死人を見て作る歌」。足柄の坂とは、東海道足柄峠のこと。歌の雰囲気からして、相模から駿河へ抜ける道筋で歌ったものと思われる。その時に福麻呂が、一人の死体が横たわっているのを見た。おそらく福麻呂と同じような下級官吏で、東国へ出張し、任を果たして都へ帰る途中に、行き倒れて死んだものであろう。その死体を見て、福麻呂は明日は我が身と思ったのだろう。満腔の同情を込めてその死者のための挽歌を詠んだのである。

  小垣内(をかきつ)の 麻を引き干(ほ)し
  妹なねが作り着せけむ 白妙の紐をも解かず
  一重結ふ帯を三重結ひ 苦しきに仕へ奉(まつ)りて 
  今だにも国に罷りて 父母も妻をも見むと
  思ひつつ行きけむ君は 鶏が鳴く東の国の
  畏(かしこ)きや神の御坂に 和妙(にきたへ)の衣寒らに
  ぬばたまの髪は乱れて 国問へど国をも告らず
  家問ど家をも言はず ますらをの行きのまにまに ここに臥やせる(1800)

家の垣根のなかで麻を引きほして、可愛い妻が作って着せてくれたでろう白妙の衣のその紐も解かずに、帯を一重に結ぶところを三重になるほど痩せ衰えながら、やっと任務を果たし、今にも国に帰って、父母や妻にもあおうと、思いながら行ったであろうあなたは、鳥が鳴く東国の、恐ろしい神の御坂で、衣も寒々しく、髪は振り乱れて、、国はどこだと聞いても答えず、家はどこだと聞いても答えない、ますらおがゆきゆくままに、ついに倒れてここに伏せっておられることよ。

垣内は垣根の内部の庭、妹なねの「なね」親愛を表す接尾語、仕へ奉るは官吏として任務にはげむこと、畏(かしこ)きは坂の枕詞、古来坂には神霊が宿ると観念されていたことを反映した言葉だ。行きのまにまには、ゆきゆくままに、道行くままに、という意味。

福麻呂がこの死体に出会ったのが、東国へ向かう途中のことなのか、それとも東国で任務を終えて都へもどる途中のことなのか、それはわからない。東国へ行く途中のことだったなら、自分の未来について不気味な予感に見舞われたであろうし、都に戻る途中のことだったのなら、自分と同じく都に戻る者が死に見舞われたと感じて、やはり不気味に思ったに違いない。いづれにしても、旅の途中で行き倒れになり、死んでゆくという運命は、福麻呂にとっては決して他人事ではなかったはずだ。

次は、「弟の死去を哀しびて作る歌一首併せて短歌」。弟の死を嘆く兄の立場に立って歌ったと思われるものだ。

  父母が成しのまにまに 箸向ふ弟の命は
  朝露の消やすき命 神の共(むた)争ひかねて
  葦原の瑞穂の国に 家なみかまた帰り来ぬ
  遠つ国黄泉の境に 延(は)ふ蔦のおのが向き向き
  天雲の別れし行けば 闇夜なす 思ひ惑はひ
  射ゆ鹿の心を痛み 葦垣の思ひ乱れて
  春鳥の 哭(ね)のみ泣きつつ あぢさはふ夜昼知らず
  かぎろひの心燃えつつ 嘆き別れぬ(1804)

父母が思いのままに産んでくれた、一対の箸のように仲のよい弟だが、朝露のように消えやすい命が、神の摂理にはあらがいがたく、この葦原の瑞穂の国には居場所がないとて、遠い黄泉国へと、這うツタのように向かっていって、天雲のように別れ去ってしまった。私の心は闇夜のように惑い、射られた鹿のように痛み、芦垣の思いは乱れて、あじさわう夜昼も知らず、陽炎のような心は燃えて、別れを嘆くのだ。

箸向ふは兄弟の枕詞、二本の箸のように仲のよいことからきた、朝露は消え安きの枕詞、神の共は神の意志のままに、おのが向き向きは自分勝手に、という意味。遠つ国、天雲の、闇夜なす、射ゆ鹿の、葦垣の、春鳥の、あぢさはふ、かぎろひの、これらの言葉も次の言葉にかかる枕詞。このようにこの歌は、枕詞を多用しながら、巧妙に雰囲気を盛り上げているところが特徴である。

この長歌には反歌が二つついている。
  別れてもまたも逢ふべく思ほへば心乱れて我れ恋ひめやも(1805)
  あしひきの荒山中に送り置きて帰らふ見れば心苦しも(1806)
一首目は、たとえ分かれてもまた会うことができると思うなら、こんなにも恋いることはないだろうにという趣旨。二首目は、あしひきの山の中に遺体を置き去りにして、人が去って行くのを見るのは心苦しい、という趣旨。この歌から、作者は、遺体を囲む人々を遠くから眺めつつ、兄と思われる人の身になって、この歌を作ったのだということが伝わってくる。





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