万葉集巻十六には、諸国の民謡と思われる歌がいくつか収められている。それらの歌は、土地の方言を交えながら、庶民の素朴な感情を盛り込んでおり、またユーモアも感じられる。まず、能登の国の歌三首を取り上げよう。一首目は次の歌。 はしたての熊來(くまき)のやらに 新羅斧落し入れ わし 懸けて懸けて 勿(な)泣かしそね 浮き出づるやと見む わし(3878) はしたてのは、熊來の枕詞、やらは、海底をさす方言、そこに新羅斧を落としてしまったと歌う、わしは、囃子言葉で、わっしょい、といったところ。懸けては、心にかけて、思い詰めてという意味、そんなに思い詰めて泣きなさんな、浮いてくるかもしれないから、わっしょい、と言って囃し立てているのだろう。 この歌には次の左注が付されている。 右の歌一首は、傳へて云はく、「ある愚人、斧、海底に墜ちて、 鐵の沈み、水に浮かぶ理なきことを解(さと)らず。 いささかに此の歌を作り、口吟(くちずさ)みて喩しとなす」といふ。 鉄でできた斧が浮かび上がるはずもないのに、この歌は、あたかも斧が浮かび上がるのを期待するような歌いぶりだ。愚者をあざ笑っているのか、それとも特別の教訓を含めているのか。いずれにしても、歌いぶりには、民謡の調子が感じられる。 はしたての熊来酒屋に まぬらる奴 わし さすひ立て 率て来なましを まぬらる奴 わし(3879) まぬらるは、罵られるという意味、奴が熊来の酒屋に罵られているぞ、誘いかけてこっちへ連れてきてやるんだった、罵られている奴よ、わっしょい、という調子で、これもまた民謡調である。この奴は、なにか不都合なことをして主人にどやされていたのだろう。それを第三者が同情して詠ったのだと思う。 鹿島嶺の 机の島の しただみを い拾(ひり)ひ持ち来て 石もち つつき破り 早川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて 母にあへつや 目豆児(めづこ)の刀自(とじ) 父にあへつや 身女児(みめこ)の刀自(3880) 鹿島嶺は能登半島にある山、机の島は和倉沖の島か、そこでしただみ、すなわち巻貝を拾ってきて、それを石でつついて破り、早川で洗い注ぎ、塩でごしごし揉んで、それを高坏に盛り、机に乗せて、おかあさんにさしあげたかい、かわいいお嬢ちゃんや、お父さんにさしあげたかい、おちゃめなお嬢ちゃんや、といった調子で歌ったのだろう。小さな女の子を家刀自すなわち一家の主婦に見立てているところがミソだ。 次は、越中の歌から。 渋谿の 二上山に 鷲ぞ子産むといふ 翳にも 君のみために 鷲ぞ子産むといふ(3882) 渋谿は、今の高岡市の海岸、二上山はその近くにある山、そこで鷲が子を産んだという、翳(さしば)は貴人の後ろからさしかける大きな団扇のようなもの、その翳の材料となる羽で、君のお役にたてようと、鷲が子を産んだという。 次の二首は、弥彦神社の神事歌謡。弥彦神社は、いまでは新潟県内だが、万葉の時代には越中の国に属していた。 弥彦おのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そほ降る(3883) 弥彦神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ 皮衣着て角つきながら(3884) 一首目は、弥彦山は山全体が神々しいので、青雲のたなびく日でも小雨がそぼふる、という趣旨。二首目は、弥彦山のふもとに今日も鹿が伏しているようだ、皮の衣を着て角をつきながら、という趣旨。どちらも、弥彦山の神々しさを強調している。弥彦山は、山自体が神の住処と観念されていたようである。 |
万葉集を読む| 万葉集拾遺 |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2018
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである