パリ紀行
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パリ紀行:その一




平成二十二年十月二日(土)午前九時、成田空港にて横子と落ち合ひ、十一時五分発日本航空四〇五便にてパリに向ふ。飛行機は離陸後北へと進路をとり、日本海を抜けて後、ハバロフスク、シベリア、ロシア、バルト海の各上空を経て、日本時間午後十一時四十分(現地時間午後四時四十分)パリ、シャルル・ドゴール空港に着陸せり。

空路はすべて日中を進みたれば、途中眼下に広がる光景を眺め得たり。中でも印象に残りしはアルダン高原にて、雪を戴ける峰々はるばると連なりたり、また西シベリアは一面の草原なり。ウラル山地は南北に長く、東西に短し、瞬く間もなく過ぎ去りたり。

フランス上空に差し掛かりしと覚しき頃、眼下には長閑なる田園地帯広がりて見えたり。これフランス東北アルデンヌあたりなるべしと覚えたり。

空港には旅行会社の現地案内人某女出迎へに来りてあり。そのものに案内せられてホテルに赴く。パリ十二区ベルシー地区なるオテル・キリアドなり。現地時間六時半頃チェックインせり。

二人ともさして疲労もせざりしかば、都心に出でて夕餉をなさんと、オテル近くのクール・サン・テミリオン駅より地下鉄一四号線に乗り込み、ピラミード駅にて下車す。車両は日本の地下鉄より一回り小さくできたるが如し、しかして車内日本語のアナウンスをなせり。余ら大いに驚きたり。



地上へと登れば、眼前に広がる街並はオペラ通りなり。荘厳にしてかつ優雅なること、さながら錦絵を見るが如し。余、その眺めに大いに感心す、しかして柳北先生がパリを詠みたる詩、自から思ひ出でられたり。

  十載夢飛巴里城  十載夢は飛ぶ巴里城
  城中今日試閑行  城中今日閑行を試む
  画楼涵影淪綺水  画楼影を涵す淪綺の水
  士女如花簇晩晴  士女花の如く晩晴に簇がる

まさしく今日この時刻の余が心情に相通じたり、余が喜び思ふべし。

通りの北側はオペラ座の建物、南側はルーヴル宮殿の建物視界を遮りてあり。両者の間は1キロばかりの距離なり、その間にクラシックなる石造の建物、積木細工の如くに整然と並びたちたり。

余らはまづ、北側に歩みてオペラ座を見物し、その後南に戻りつ夕餉をなすべき店を探す、一の瀟洒なるカフェあり、名を Cafe de Cadran といふ。店に入りて席に着くに、店員来りて Bon Soir, MesSieurs と呼びかけらる。余もまた Bon Soir, MonSieur と応へて注文をなす。ビール Biere のほかに、横子には Poulet Fermie 、余には Poisson du Jour といふ魚料理を注文す。味はまづまづなり。

店内の様子を伺ふに、客の殆どはフランス人なり。その多くのものは店員と日頃懇意にせる模様と見え、互ひに気さくに声を掛け合ふ、中には顔面に接吻しあふものもあり。余、その様子を興味深く観察せり。

腹の満つると思ふや、時刻は午後十時近くなり、長旅の果なれば眠気も襲ひ来り、勘定をなしチップを与へ、地下鉄に乗りてホテルに戻らんとす。ところが地下鉄駅内は異常な雰囲気に包まれゐたり。反対側の車線には列車とどまりて発車する見込みなし、我が車線にも列車の到着する様子なし。余、不思議に思ひたれど、説明のアナウンスなければ事情を知る由もなし。

そのうち周囲にゐたる乗客次々と駅構外へ脱出せり。余、事態の尋常ならざるを察す、よって身づからもただちに駅外に脱出す。傍らを歩くものの会話を聞くに、テロとかいふ言葉頻出せり。

路上にてタクシーをつかまへ、ホテルに向ふ。タクシーはセーヌ川の川岸沿ひを走り、十一時過ぎにオテルに戻りたり。タクシー料金は十五ウロなりき。




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