パリ紀行
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シャンゼリゼー、凱旋門:パリ紀行その五の二


十二時頃ルーブルを退館し、チュイルリー公園に憩ふ。泉を中心にして展開する瀟洒なる庭園なり、パリの風景の中でも最も美しきもののひとつといふべし。



チュールリー庭園の先はコンコルド広場なり。パリの臍ともいふべき所なり。噴水広場にはオベリスクの塔立ちたり。これはエジプトのオベリスクをもとに作られたるものの由。例の象形文字をそのままに再現す。フランス帝国主義の象徴ともいふべきものなり。

コンコルド広場を経て、シャンゼリゼー通りを歩む。時に雨至る。アメリカ大使館の前を過ぎりたるところ、周囲に大勢の警察官繰り出してものものしき雰囲気立ち込めたり。新聞などによれば、目下テロリストの活動活発になりをる由なり。



凱旋門近くのビル街にて、公衆便所に入る、ここもチップ二ウロを請求せらる。



路上には、キオスクなる簡易売店、一定の間隔を置いて立つ。主に煙草を売るほか、新聞雑誌やエンタテイメントの情報誌を売るなり。余、ルモンドの夕刊を一部買ひたり。横子に、英語で何か話しかけてみろよといふに、彼しばらくして余のもとに来りて曰く、英語も日本語も通じなかったよと。

聊かフランス食に飽きたる頃なれば、昼餉には中華料理でもと思ひ、方々探し歩く、それらしき店を見ず、やっと路地の一角に翠園なる店を見出して、湯麺を注文す。決してまづくはあらざりしが、されど美味といふわけにてもなし。



凱旋門もまた四本足の上に立ちたり。階段を上りて展望台より周囲を睥睨すれば、エトワール広場を中心にして道路放射状に伸び、あたかも星の光芒を見るが如し。シャンゼリゼー通りはそのもっとも大なるものにて、凱旋門を軸にしてパリの街を東西に貫く、しかして西の果をラ・デファンスの高層ビル街、東の果をルーブル宮殿に限らるるさま、都市計画の妙を実感せしむ。

凱旋門下のエトワール駅より地下鉄一号線に乗り、バスティーユに至る。この線はシャンゼリゼー通りの地下を走るものにて、パリの地下鉄のうちでも最も旧きものなり。興味深きことに、列車のドアは自動にては開閉せず、必ず人手を加へて開閉するなり。

車内に会話する男女あり、フランス人の会話は身振り手振りをまじえて賑やかなるものなり。この男女の場合には、ことのほか賑やかにて、六尺を優に越ゆる大女が男の上に覆ひかぶさるやうにして手足を動かし、また表情を変化せしむるさまは、あたかもパントマイムを見るが如くなり。

またホーム上にて携帯電話をなすものあり。この者も受話器を耳にあてつつ、手足を躍らせ、まるで操り人形を見るが如き有様なりき。



オペラ・バスティーユに赴き、切符売り場にて、六日の切符を求む。出し物はワーグネルの Le Vaisseau Fantome なり。売り子余が顔を見て、エクスペンシヴの席しかあらざれど、差し支へなきかと問ふ、余差し支へなしと答ふ、思えば、見くびられたりといふべし。

ここにてやや疲労を覚えしかば、ホテルに戻りて小憩せんと、地下鉄に乗りてサン・テミリオンに至る。





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