パリ紀行
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カルチェ・ラタン散策:パリ紀行その八


十二時頃オルセー美術館を出でて、セーヌ川沿ひを散策す。このあたりにもブキニストら店を構へてゐたり。店の様子をよく見れば、皆一様のつくりなり、恐らくはパリ市当局の指導ならんか。



このあたりは左岸といひて、右岸とは多少雰囲気を異にするが如し。建物の雰囲気は右岸同様クラシックなれど、全体にくだけたりとの印象あり。

国立美術学校の横手にボナパルト通りなる小道あり。両側に石像の建物連なりたれど、右岸の如き威圧感はなし、通り過ぎる人々も生活を感ぜしむ。その通りの一角なるカフェ、Vins de Propriete に入りて昼餉をなす。



余はビールとハンバーガーを注文す。パリのビールは日本のものに比べて味濃厚なるが如し、値段はどの店にても概ね九ウロ前後なり。日本円にして千円を超ゆるなり。

カフェの席には三通りあり、店内のテーブル席、店内のカウンター席、店外のテーブル席なり。テーブル席は店内外同一料金のやうなれど、カウンター席は幾分安価なるが如し。最も人気あるは店外の路上席のやうにて、客はここからまづ席を求むるやうなり。



食後再びボナパルト通りを歩みてサンジェルマン・デ・プレ教会に至る。古来パリの下町といはるる地域の中心なり。内部の礼拝堂には数多くの人々祈りを捧げてあり。

又ボナパルト通りを歩み続けてサン・シュルビス教会に至る。これもまた巨大な教会建築なりき。



サンシュルビス教会の付近に、ドラクロア美術館とアルチュール・ランボーの家なるものあり。まづドラクロア美術館を訪ぬるに、この日は休館日とて扉閉ざされてあり。ついでランボーの家を訪ねて、ビュシー街に赴く。

アルチュール・ランボーは、千八百七十一年に、わづか十六歳の若さにて「酔ひどれ船」を書き、それを土産にパリのヴェルレーヌを訪ねたり、ヴェルレーヌはただちにこの天才少年を好きになりしが、妻のマティルドはランボーを毛嫌ひして、家から追放せり、その折ヴェルレーヌは友人のテオドル・ド・バンヴィルにこの少年の世話を依頼し、バンヴィルはその意を受けて、己のアパルトマンに一時ランボーをかくまひしなり、そのアパルトマンこそ、ビュシー街十番地なりしといふなれ。



案内書を頼りにそれらしきものを探すに、手がかりを得られず。カフェの席に座せる人々に向かひて、アルチュール・ランボーの家はいづこやと聞けど、知る者なし。ただランボーの住めるといふ住所地に、アパルトマンの入り口見えたれば、これぞそれならむと推測す。

その後リュクサンブール公園を散策す。この公園はパリ市民の憩いの場所にて、映画の舞台にもよくなるところ、日本人にもなじみ深し。北側には宮殿の建物あり、今はフランス国民議会上院として用いられをる由なり。

リュクサンブール公園の東側には、ソルボンヌ大学の建物林立す。カルチェラタンなり。その中心には、小高き丘状の土地にパンテオン聳えたちたり。余らはパンテオンの手前なるカフェにて小憩す。

やや疲れを覚えしかば、いままでならホテルに戻りて小休止するところなりしが、今宵はリドのショーを見物すべく予約しをれり、その前に都心のショッピング街にて買物をなし、時間をつぶさんと、モベール・ミチュアリテより地下鉄十号線に乗り込み、セルヴ・バビローヌにて十二号線に乗り換へ、マドレーヌ駅に向かふ。





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