上野寛永寺所在地: 台東区上野桜木1建築年: 寛永15年(1638) 構 造: 木造平屋 特 徴: 川越喜多院の本地堂として建て られたものを、明治12年(1879) 現在地に移築。天台宗根本中堂 の建築様式を伝えるとされていま す。 |
寛永寺は、家康が天台僧天海のために建てた寺院です。芝増上寺とならんで徳川家の菩提寺とされ、高い格式を持った寺院でした。 比叡山延暦寺を江戸に再現したものだといわれ、当時の年号をとって東叡山寛永寺と名付けられたこの寺は、現在の上野公園のほぼ倍の面積を占め、江戸市中最大の規模を誇りました。 現在上野公園の噴水のあるあたりに根本中堂がたち、その周囲に数多くの子院が立ち並ぶ壮大な寺院でしたが、維新の上野戦争の際、殆どの建物が官軍によって焼き払われました。 |
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現在寛永寺と呼ばれる寺は、かつての子院大悲院のあったところです 大政奉還後、徳川慶喜が恭順の意を示すために隠棲した寺です 明治12年、ここに天海ゆかりの川越喜多院にあった本地堂を移築して 寛永寺の門跡をつがせました 主な目的は、徳川家霊廟のある寛永寺霊園を守ることにあったようです |
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寛永寺五重塔はいくたびかの戦火を潜り抜けて今日に残り 上野動物園の一角にその威容をほこっています ただ、現在の寛永寺とのつながりはなく 動物園の管理者たる東京都の財産になっています |