学海先生の明治維新
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学海先生の明治維新その四


 結局小生は英策の言葉に動かされて依田学海の日記類を読んでみる気になった。日記本体の学海日録は岩波書店から十一巻本で出版されているものが新町の市立図書館にあるというので、それを借りて読んだ。墨水別墅雑録のほうは図書館に置いていなかったので、本屋から取り寄せた。借りた本は船橋のマンションで読んだ。マンションには無論荊婦がいて、その不機嫌そうな顔と毎日つきあわせになるのがつらかったが、我々はもとからあまり会話をする習慣がなかったので、毎日職場から戻ると夕食を手早くすませ、自分の部屋に閉じこもって借りて来た本を読んだ。
 荊婦が小生に対して不機嫌なのは無論あかりさんとのことを疑っているためであるが、彼女にはもともと不機嫌に陥りやすい傾向があって、これまでも年に一度くらいはわけもなく不機嫌になった。いったん不機嫌になると回復するのがむつかしいらしく、だいたい一か月は口もきかない状況が続く。場合によっては数か月間そうした状態が続くこともある。そのたびに小生はうんざりさせられ、何が因果でこんなことに耐えなければならぬのかと怒りを覚えることもあった。しかし自分で選んで結婚した女だから今さら離縁するというのも大人げないと思って我慢してきた。まして今回は自分のほうにも聊かの理由がある。
 我々には一人息子がいて、もう高校生なのだが、これが非常に無口で父親の小生とはなかなか口をきこうとしない。思春期の情緒不安が多少影響していることもあろうが、この子は小さな頃から父親と話すのを喜ばなかった。母親とは話しているから、父親に対して何か含むところがあるのかもしれない。我々夫婦は決して仲がいいとはいえず、むしろ傍目にはしょっちゅう喧嘩ばかりしているように見えるから、あるいは息子はそんな両親を見て幻滅を覚えたのかもしれない。その幻滅が父親への反発に変わることはありえないことではない。そんなこともあって、その頃の小生は自分の家にいながらくつろぎを感ずることがなかったのである。
 本は二冊ずつ借りて、一冊を読み終わるとそれを返して先の巻を借り足すという方法をとった。これだと間断なく本を読み進めることができる。そんなふうにして三か月あまりで学海日録全十一巻を読み終えた。続いて墨水別墅雑録を読んだ。日録を読み始めたのは英策と語り合ってから間もない十月初旬のことで、雑録を読み終わったのは春の訪れを日に日に感じる頃のことだった。読み終わっての印象はなかなか強烈なものだった。このまま読みっぱなしにするには惜しいような気がした。そこでこれを材料にして何かをものにしたい。例えば新しい視点から学海の生きた幕末・維新の歴史を見直すとか、あるいは鴎外の史伝のようなものを学海をモチーフにして書いてみるとか、または学海を主人公にした小説を書くとか、いろいろ思い浮かんだが、なかなか方針は定まらなかった。
 桜が咲くころ、小生は英策を誘って佐倉の城址公園で花見をし、摩賀多神社の隣にある蕎麦屋で昼餉を食した後、宮小路の家に寄って歓談をした。
「お前さんに勧められて依田学海の日記類を読んでみたが、あまりに面白いので学海日録十一巻と墨水別墅雑録を全部読んでしまったよ」
「そうか、何が面白かった?」
「何がといわれても困るが、とぼけているところがいいね、とにかく無節操な生き方に徹している。それでいて本人は大まじめらしいから、この依田学海という人物は非常に希少価値のある人間だと言ってよい、食わせ物と言うのは酷だろうからね」
「食わせ物はひどいな。これでも我々佐倉藩の末裔にとっては大先輩だ。佐倉藩をある意味で代表して歴史の表舞台で活躍したわけだし、またそれなりの思想に基づいて世の中の動きを冷静に見ているところがある。その見方は従来の常識的な見方とはだいぶ違うところもあるが、それなりに首尾一貫しているところもある。ので、もし歴史が別の方向に動いていたら、その流れの中で一定の役割を果たしたに違いないと思われるところもある。俺はこの人物を通して日本の近代史を見直すことができると考えているのだが、お前の感想はその食わせ物云々だけか?」
「いや、お前さんの言うとおり、こういう見方・生き方もあったのかと思わされるところはあるよ。これまでの幕末・維新史はいわば薩長史観ともいうべきもので、勝者である薩長の視点から書かれていたのは間違いない。ところがこの人物には別の視点を読むことができる。この人物の視点を以てすれば、日本の近代史を複眼的に見ることができるとは言えそうだ」
「俺はその複眼的な見方で、幕末・維新史を見直そうと思っているんだが、どうだい、お前も依田学海が気に入ったようだから、もう少し俺と付き合って学海史観とでもいうべきものを研究してみる気にはなれないかね?」
「いや、おれは学者タイプの人間ではないから、そんな悠長なことをやっている暇はないね。もし依田学海に取り組むとしたら、もっと別のやり方、たとえば小説のような形をとりたいと思うね」
「小説でもいいさ。しかしそれにしたって史実を無視してでたらめを書いてよいということにはならない。ちゃんとした小説を書くためにも、依田学海の研究を深める意義はある」
 どうやら英策は小生を自分なりの学海研究の道連れにしたいと考えているようである。
「ところで依田学海は一時期ではあるがこの近所に住んでいたんだね。摩賀多神社の前の四百坪余りの土地つきの家に住んでいたと日録に書いてあった。その場所にはお前さんも知っているとおり昔は県の機関があって、その一角の官舎らしい家に我々の同級生の上田あかりさんが住んでいたじゃないか」
「ああ、そうだったな。あの子はなかなか利発で気持ちのいい子だったな。いま何をしているのか、お前は当然知っているんだろう? しばしば会っているようだから」
 小生は先日、英策からあかりさんとのことで男女の関係を疑われた時、それを頭から否定したこともあって、その手前、
「そんなにしばしば会っているわけじゃない。ごく時たま会うだけだ。今は都立高校の教師をしているそうだ」と答えた。
「そうか、そこまでは知らなかった」
 実はあかりさんとは何度も会っていたのだったが、今は他の男の妻になっている女性とそんなに頻繁に会っているとは言えないから、小生はこんなことを言ってお茶を濁したのである。本来なら彼女のことなど話題に乗せるべきではなかったのだ。それが思わず口をすべらせたのは、彼女への小生の思いに不純なものがあったせいだろうと思う。
「もしお前が本気で小説を書くつもりなら、学海についての資料をなるべく紹介するし、いろいろと相談に乗ったりもする」
 英策はこうも言ったが、相談に乗ると言われても、小説を書くというのは孤独な作業なので、他人に相談するようなことはないように思えた。ともあれ英策のこんなダメ押しもあって、小生は依田学海をテーマにして小説でも書いてみようという気がいよいよ強くなるのを感じた。どんな形の小説にするのか。史伝に近いような事実を重んじた小説か、それとも思い切りフィクションを交えた半ば荒唐無稽の小説か、そのどちらがふさわしいか、まだ見当がつかなかった」
「依田学海の墓が上野の谷中墓地にあるのは知っているか?」
 そう英策が言うので、
「いや、知らない」と答えると、
「もしよかったら二人でその墓を訪れてみようよ。歴史上の人物を研究するには、まずその墓に詣でることから始めるというのが我々日本人の礼儀だからな」と英策は続けた。小生は、
「是非そうしてみよう」と答えた。
 その日は、英策とはそこで別れた。英策が辞し去ったのは二時過ぎのことだったが、入れ替わりにあかりさんが訪ねて来た。城址公園で花見をしようとかねて約束していたのだ。そこで小生はあかりさんの手を引いて再び城址公園まで歩いて行った。宮小路の家から城址公園までは歩いて十五分ほどで行けるのだ。道々小生は最近読んだ学海の日記のことを語り、学海がかつて彼女の家のあったところに住んでいたことなどを話した。
「へえ、そんなこと少しも知らなかった。私の住んでいた家は県の官舎だったのだけれど、江戸時代には武家屋敷があったとは聞いていたわ。それがあなたの気に入った依田学海だったというわけね。なにかの因縁を感じるわ」
 彼女はこう言って、多少学海に関心を示すようなそぶりを見せた。
「その小説にある程度形が出来たら、是非私にも見せてちょうだいな」
「無論いの一番で見せてあげるよ。もっとも小説の中には、女性には憚れらるようなところも当然あるから、その辺はあまり敏感にならないで欲しい」
「この年になって世の中に憚るものなんて殆どなくなったわ」
 そう言ってあかりさんは高らかに笑ったのだった。彼女は大きな目とそれに劣らず大きな口といったふうの明るくて派手な作りの顔が特徴で、その大きな口を開けて笑うと、周囲までが明るくなるのだった。




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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2018
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