東慶寺(ホワイトワトソン300g、26×36cm、2012年)

鎌倉の東慶寺の正式名称は東慶総持禅寺という。もともとは独立した禅宗の尼寺であったそうで、徳川時代には縁切り寺としてその名をとどろかせた。夫との絶縁を願う妻がこの寺の険しい石段を登って山門をくぐれば、何人と雖も手を出すことは許されなかった。

この光景は本堂前を描いたもの。門の右手前に四賀光子の歌碑がある。それには「流らふる大悲の海によばふこゑ 時をへだててなほたしかなり」と彫られている。

なお、この寺は明治以降には文化人と深いかかわりがあり、奥まったところの墓地には、西田幾多郎、和辻哲郎、鈴木大拙、小林秀夫を始め、多くの文化人たちの墓がある。文化寺とも称すべきか。





                       
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