足利・鑁阿寺(36×26cm ヴェランアルシュ 2006年9月)
                  
足利はいうまでもなく足利氏一門の拠った所である。源氏の総領義家の子義国が下野に土着したのが始まりで、その嫡子義康の時、足利氏を称した。義康は頼朝の挙兵に呼応してその信頼が厚く、二代目義兼以降も歴代北条氏と姻戚関係を結んで、鎌倉幕府に重きをなした。八代目の高氏に至って、ついに天下を領した経緯については申すまでもない。

鑁阿寺のある土地は、家祖義康の時には、氏の館地であったが、義兼が建久七年(一一九六)真言宗の寺を創建した。曽我兄弟が富士山麓に親の仇を討った頃のことである。鑁阿とは義兼の法号で、大日という意味である。

鑁阿寺は足利の氏寺ということから、関東有数の大寺院として栄えた。境内地には足利学校が存立し、日本中から人を集めたものである。戦国末期に一度さびれたようだが、家康の手によって大がかりな再興がなされている。家康は系図を偽ってまで、源氏の名跡にこだわった男なので、足利の氏寺に相当の敬意を払ったのであろう。

現在の寺容をいえば、四周に堀を巡らし、東西南北それぞれに門を設けている。中世の武家館を思わせるような構えである。敷地のほぼ中央にある本堂は、創建時のままの姿という。この外、鐘楼や宝物殿など、古い建物が多く残されている。

境内は閑寂な雰囲気に包まれ、土地の年寄たちがのんびりと散策を楽しんでいる。寺院というよりは、公園にいるようだ。

この絵は門前の小路から、堀にかかる太鼓橋と総門の威容を描いたもの。足利は、街中には古い建物は殆ど姿を消して、ありきたりの町になってしまったが、ここ門前の道のみは、落ちついた昔らしいたたづまいが残っている。休日には観光客もやって来るのか、土産物を売る小店なども点在している。





                 

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