四方山話に興じる男たち
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露西亜四方山紀行その十三:ペトロパヴロフスク要塞



(ネヴァ河畔)

九月十九日(水)六時半に起床して日記を整理す。八時近く朝餉を供せらる。昨日と同じメニューなり。食後窓外を見るに天晴れ渡りて爽快なる陽気のなか、サラリーマンと思しき人々足早に歩み去りたり。その身なり普段着と異ならず。ロシア人はうちとけたる勤め人生活を楽しみをるが如し。

フロント嬢に頼んでタクシーを呼び、レニングラード攻防戦博物館に赴く。折から改修工事中の由にて閉館してあり。工夫らに同情せらる。

歩みて橋を渡り、ペトロパヴロフスク要塞に至る。城壁内部には大勢の中国人充満してあり。その様子を見るに、大声で叫びつつ大袈裟な身振りをなす。傍若無人とはこれをさしていふなり。ここに限らず、露西亜の観光地は至るところ中国人充満す。あたかも中国を旅行するが如き錯覚におそはるるなり。

球形の異物を見る。近づき見るになぜかスプートニク衛星の模型なり。周囲には軍人たちのブロンズ像展示せられてあり。そのなかには宇宙飛行士も含まれたり。宇宙飛行士は宇宙戦争の戦士と受け止められをるにや。

歩みて島の反対側に出る。橋を二つ渡りてネヴァ河左岸に至る。途中波打際を歩む。周辺に結婚式をあげをるカップル数組を見る。新郎新婦を囲んでみなワインもて祝福してあり。


(エルミタージュ広場の一角)

エルミタージュ美術館前広場の一角に夥しき数の清掃車両集結してあり。異様な迫力なり。余これを見て清掃労働者のストライキかと疑ふ。さにはあらず、車両の展示ショーなるが如し。


(レーニンの記念碑)

ネフスキー通りに差し掛かりたるところ、とあるビルの壁に銅板の掲示物を見る。一読するに、1917年の二月革命勃発せし直後、レーニンここにてあの四月テーゼを示せしと書かれたり。

ネフスキー通りより南に入りたる横丁あり。ここに一のラーメン店出展す。是非なく入りてラーメンを注文す。麺はやや延びぎみなれどスープはまあまあなり。ラーメンもどきといふべけれど、同じもどきにても、昨夜の中華料理もどきよりはましなり。

食後、余は船に乗りて運河を一周せんと提案せしが、浦子は船に乗るより買物したしといふ。よって芸術広場に面せる買物市場オネーギンに赴く。途中道路の段差につまづきて仰向けに転倒す。幸い大事なきを得たり。やうやう疲労の甚だしきを覚ゆ。

市場のなかに入りて土産物を物色す。余は気に入りたる品物あらざりしかど、他の三子はそれぞれ気に入りたるものを買ひ求む。岩子は細君のために鏡を買ひたり。


(ネフスキー通りの路上カフェ)

その後、ネフスキー通りに面せる路上カフェにて小憩す。モスクワの町にはかかる路上カフェを見ざりしが、サンクト・ペチェブルグにはところどころ見かけるなり。ヨーロッパの町はたいていかかる路上カフェを擁し、そのため人間的な雰囲気をかもし出すなり。モスクワが非人間的に感じられたるは路上カフェなきがその一理なるべし。サンクト・ペチェルブルグには少数ながら路上カフェあるがために、やや人間的な趣を感ずるなり。

天蓋を設けたる席に座せり。ブランコを以て座席となし、人をしてゆらゆらせしめながらコーヒーを供するなり。余はカプチーノを注文せり。給仕せるウェイトレスきはめて愛想よし。顔つきも可愛らしく人形を見るが如し。余、この娘を土産にして日本に持ち帰らんといふに、石子苦笑す。

コーヒーを飲みつつ道行く人々を観察す。さまざまな人あり。中国人の姿を見ざるは幸なり。


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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016-2018
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