四方山話に興じる男たち
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久しぶりに峨眉山で会う


四方山話の四月の例会は約一年ぶりに曙橋の峨眉山でやった。前回は九州から出てきた秋子を歓迎する意味もあって、十名以上が出席したが、今宵集まったのは七人。小生のほか、福、六谷、岩、小、石、浦の諸子だ。まず、先月の歌声喫茶の模様を写した記念写真を小子が皆に見せた。するとこの場にいなかったほかの連中も興味を示し、そのうちまた行って見ようやという話になった。あのときに、鷲子から会場に電話があって、新子の病気のことを話していたが、そのあと新子に見舞いの電話を入れたら喜んでいたよ、と小子が皆に報告した。

小子は報告ついでに石子の家に電話を入れたことも話した。すると女性の声と小さな子どもの声が聞こえたが、君は既に再婚を済ませて子どもまで作ったのかね、と冷やかした。冷やかされた石子は憤慨して、どこか他の人間と間違えているのじゃないのか。俺のうちには女なんていないし、まして小さな子どももいないと反論した。どうやら小子はラヂオか何かの音を本物と勘違いしたらしい。

ところで朝鮮半島をめぐってきな臭い空気が漂っているけれど、いったいどうなるのかね、という話になった。六谷子がジャーナリストらしい分析をする。あれは見かけほど深刻ではないのだそうだ。その証拠に安倍政権はゆったりかまえている、そう六谷子が言うと、岩子が半分同調して、あれは危機意識を高めるために騒いでいるだけだよ、と言った。そうかなあ、小生などは随分危ないと思っているんだ。いつなんどき自分の頭の上で原子爆弾が破裂せんともかぎらない。だから庭に穴を掘って核シェルターを作ろうかと、家人と本気で話しているところだ、そう小生は言った次第だった。

この問題を深刻に受け止めているのは小生だけで、ほかの連中は呑気でいるようだ。福子などは、呑気ついでに、日頃子どもを相手にしていかに楽しい日々をすごしているか、目を細めながら披露した。福子はいま小さな子どもを相手に塾の講師をしているのだ。でも、時折子どもたちに嫌われることがある。匂いがするというのだ。そう福子が言うと、それは老人臭のせいだろう。オーデコロンかなんかでごまかすんだな、と小子がアドバイスした。

体臭といえば、ヨーロッパ人のはもっと強烈だ。今日も電車の中でアメリカ人かなんかの巨漢が隣に座ったが、それがすさまじい匂いを立てていた。実に閉口したよ、と小生が言ったところ、あの連中はまずろくろく風呂にも入らないからな、と浦子が言う。だいたいシャワーですませるし、そのシャワーにしたって毎日浴びるわけでもない。その点は、サルでも毎日温泉の湯を浴びる国柄の我々日本人とは大違いさ。

その浦子が、どういう話のつながりからか、デザイナーのコシノジュンコを話題に出した。仕事の付き合いがきっかけで今でも仲良くしているのだそうだ。気さくな人で付き合いがいがあるというので、小生も昔仕事で会ったことがあるが、なかなか気さくな人だという印象をもった。その時に彼女がデザインしたネクタイをもらったよ、と言ったところが、ネクタイを貰ったから気にいったんじゃなないのか、というような表情を石子が呈した。

その石子に小生はこの会の進行について提案した(彼はこの会の取締役なので)。昨年の二月からメンバーのそれぞれが自分史を語って、それが一巡したところで、今度は別の企画を考えたらいいと思うのだが、こんなのはどうかね。柳子がかねて映画をモチーフにして皆で議論したいと言っていたが、柳子に限らず、みなそれぞれ自分の手がけてきたテーマ、ライフワークと言って大げさに聞こえるなら、趣味と言ってもよいが、それをそれぞれ話してみたらどうだろう。たとえば、六谷子ならジャーナリズムの現在、福子なら生命倫理とはなんぞや、石子ならマルクスの今日的意義、と言ったぐあいに、ひとそれぞれ得意のテーマがあるだろう。それを交代で披露して、それに対する質疑応答というか、批判と反批判という形で議論を深める。ボケ防止になるし、もしかしたら気持が若返るかもしれない。そう言ったところが、あらかたの賛同を得て、次回は柳子に映画を語らせようということになった。

こんなぐあいで今宵は散会した。その後、浦、石、岩の諸子と、前回入った荒木町の夢というバーでジャック・ダニエルスのソーダ割を飲んだ次第だ。



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