四方山話に興じる男たち
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再び歌声喫茶に集う


小子から青春の歌を歌おうと誘われて新宿の歌声喫茶に繰り出したのは今年初春のことだったが、今度は四方山話の会の例会行事としてみんなで押しかけようという話になって、寒風の吹きすさぶ中を赴いた。ビルの一階のエレベータ前についてみると、甲谷子と浦子が先について待っていた。甲谷子とは昨年の春以来の再会だから、お互い久しぶりだねといって挨拶する。そのうち岩子も加わった。今回の出席者はこの四人に石子を加えた五人のはずだが、その石子がなかなか姿を見せない。浦子が携帯で電話すると「今出られません」といいうメッセージが返ってくる。岩子がかけてもやはり同じメッセージが帰ってくる。予定時刻を十分も過ぎたことだし、石子も追ってやってくるだろうから、上に上がっていようと話しているところに、福子がひょいと現れた。そこで福子を加えた五人で店に上った次第だ。

大子に事情を話すと、石子から電話があって、道に迷ったと言ってきたという。石子はこれまで何回もここに来ているのだから、迷いようがないはずだと皆で云っているところに、その石子が現れた。何回も来ているのにどうしてまた道に迷ったのだと皆から聞かれると、昼と夜では風景が違って見えるから、過去の体験が役に立たなかったのさ、と言い訳しているように聞こえた。

店内は前回同様老人老女であふれている。みな幸福そうな顔だ。とりわけ女性の皆さんは、生きているのが楽しくて仕方がないといった表情を体全体で表わしている。その彼女らが舞台に並んでロシア民謡を歌ったりする。適度に肥っていて声量も豊かだ。それを見た岩子が、最近は日本の女も年をとると丸くなる、うちの女房もそうだ、と言った。うちもそうさ、と小生も相づちをうった。

前回同様老人老女の皆さんが入れ替わり立ち替わり歌を披露する。なかでも七・八人の男女が一列に並んで合唱した「アムール川の波」は素晴らしかった。ハーモニーがきいていて、女性によるソロの部分もグッとくる。その歌声に聞きほれながら、こんにゃく田楽を食い、生ビールをあおった。そのうち酔いの勢いで自分たちも歌おうということになり、小生が「カリンカ」をリクエストし、浦子が「ワルシャワ労働歌」をリクエストした。「ワルシャワ労働歌」は前回小子がリクエストして却下されたから他のにしろよと言ったところ、スタッフの女性がそれを聞いて、社長さんのお友達のリクエストならどんな歌でも歌わせますよと言った。

そんなわけで六人そろって舞台に上がり、「ワルシャワ労働歌」を合唱した次第だったが、それはとても合唱とは言えない代物だったようだ。というのも小生始め歌詞をまともに覚えているものがいないからで、みな口をぱくぱくさせてごまかしているありさまだ、幸い別の人が一緒に舞台に上って歌ってくれたので、小生などは彼の歌に従って歌うまねをしたのだった。どういうわけか小生のリクエストした「カリンカ」のほうはなかなか舞台にかからない。大子に催促したところ、どうやら司会者の判断でスルーされたらしいというので、我々はここで切り上げて別の店に席を移すことにしたのだった。

二軒目はコマ劇場横手の青葉という台湾料理屋。昔よく通った店だ。もう十年近く来たことがなかったが、その間に昔のコマ劇場は解体され高層ビルに変っていた。青葉の店内の雰囲気も大分変ったようだ。ここで石持のあんかけ揚げを始め料理数点と紹興酒を注文した。注文する際に女店員にシャオジェーと呼びかけたところ、みなどういう意味だと聞くので、お嬢さんという意味だと答えたら、あんな婆さんなのにお嬢さんなのかと言うから、いや中国の食堂ではどこでもウェイトレスのことをお嬢さんと呼びかけるのが礼儀なのさと説明した。逆に目上の人に対しては、年齢にかかわらず老師と呼ぶのだよ、と。

老人が六人もいると、それぞれに老い方に多少の違いがある。風貌についていえば、小生のように禿頭に近くしかも白髪の者もおれば、岩子のように若者と変わらず豊かな黒毛を保っている者もいる。そこであんたのその毛は自前かね、と聞いてみたところが、いや染めていると言う。それはよかった、人間というものは、とりわけ男の場合には、年齢相応に禿げたり白くなったりするものだ、そのどちらでもないというのは乞食くらいだと昔から相場が決まっておったからねと、小生は自分の薄い白髪頭をあらためて皆さんに披露し、最近は毛染めをやめて自然の状態にまかせている。そのかわり帽子でカバーしているのさ、と言ったところ、これはいつも帽子をかぶっている石子が、おれは別に頭の毛をカバーするために帽子をかぶっているわけではなく、ファッションとしてかぶっているのさと自慢した。必要に迫られてかぶるのと余裕の気持からかぶるのではおのずからかぶり方が違うのだ、と言いたいらしい。

福子はいままで体に不調を感じたことがなかったが、最近老いを感じるようになった、先日は脳をMRI撮影したところが、あちこちに脳梗塞の痕跡がみつかったばかりか、医者からは脳溢血の恐れもあると脅かされた。いままで医者とは縁のない生き方をしてきただけに、これは滅入ったよ、と言うので、それなら、いつ死んでもいいように遺言を用意しておいたほうがいいよ、とアドバイスしてやった次第だ。

六人の中では甲谷子が一番エネルギーがあるように映った。いまでも現役で仕事をしているそうだ。この分だと死ぬまで働くことになりそうだと言うから、それは贅沢な悩みだね、さっきの帽子の話ではないが、人間必要に駆られてではなく、余裕で仕事をすることができるのはたいしたことだよ、とみな感心したのであった。その甲谷子が、今宵は十一時の最終で甲州に帰るつもりだが、その前に麻布十番に住んでいる息子夫婦を訪ねて来いと女房に言われていると言うので、九時頃に解散することにした。解散に先立ち、腹ごしらえとして大根餅を一人に一個づつとチャーハンと焼きそばを一皿づつ注文した。みな大根餅を食うのは初めてらしく、うまいと言いながら食っていた。



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