漢詩と中国文化
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常樂里閑居:白楽天を読む


白楽天は23歳の時に父を失って、苦学しながら科挙に備えたが、29歳で進士に及第、ついで32歳の時に試判抜萃科に合格した。しかして秘書省の校書郎を授けられて官僚生活を開始し、長安の常樂里に寓居を構えた。この詩は、その寓居にあって、官僚として出発したばかりの自分の生活ぶりを歌ったもの。前途洋々とした若者の、溢れるような抱負がみなぎっている。なお、この詩は数人の同僚と思われる友人に寄せられているが、その中には白楽天にとっての生涯の友となった元稹の名も含まれている。姓と名の間に挟まっている数字は、兄弟の中での出生の順番をさす。

常樂里閑居、偶題十六韻、兼寄劉十五公輿、王十一起、呂二炅、呂四熲、崔十八玄亮、元九稹、劉三十二敦質、張十五仲元、時爲校書郎(唐•白居易)

常樂里に閑居し、偶たま十六韻を題し、兼ねて劉十五公輿、王十一起、呂二炅、呂四熲、崔十八玄亮、元九稹、劉三十二敦質、張十五仲元に寄す、時に校書郎爲り(常樂里に閑居したときに、たまたま十六韻の詩を作り、かねて劉十五以下の諸君に寄せた、時に校書郎の職にあった)

  帝都名利場  帝都は名利の場
  雞鳴無安居  雞鳴けば 安居する無し
  獨有嬾慢者  獨り嬾慢の者有り
  日高頭未梳  日高くして頭未だ梳らず
  工拙性不同  工拙 性同じからず
  進退迹遂殊  進退 迹(あと)遂に殊なり
  幸逢太平代  幸ひに太平の代に逢ひ
  天子好文儒  天子 文儒を好む

帝都は名利の場、夜が明ければのんびりとはしていられない、ところがここにものぐさな者がおって、日が高くなっても髪も梳らない、

工拙は人それぞれだが、この怠け者の所業はことに変っている、だが幸いにも天下は泰平で、天子は学者が好きときている

  小才難大用  小才 大いには用ひ難く
  典校在祕書  典校して祕書に在り
  三旬兩入省  三旬に兩(はつか)入省し
  因得養頑疎  因って頑疎を養ふを得たり
  茅屋四五間  茅屋 四五間
  一馬二僕夫  一馬 二僕夫
  俸錢萬六千  俸錢 萬六千
  月給亦有餘  月給 亦た餘り有り

才能が乏しいので大役はこなせず、書物を構成する仕事に従事して秘書省にいる、30日に20日出勤し、そのおかげで愚か者でも食べていかれる、

茅屋に四五間の部屋、馬一匹に使用人が二人、給料は1万6千円、月々十分の余裕がある

  既無衣食牽  既に衣食の牽無く
  亦少人事拘  亦た人事の拘はり少し
  遂使少年心  遂に少年の心をして
  日日常晏如  日日常に晏如たらしむ
  勿言無知己  言ふ勿れ 知己無しと
  躁靜各有徒  躁靜 各おの徒有り
  蘭臺七八人  蘭臺の七八人
  出處與之俱  出處之と俱にす

衣食の心配もなく、人間関係の煩わしさもない、そんなわけでこの若者の心は、日々安穏というわけだ、

友達がいないわけではない、うるさいやつからおとなしいやつまで様々な友達がいる、とくに蘭臺にいる七八人とは、つねに出処をともにしている(蘭臺:秘書省)

  旬時阻談笑  旬時 談笑を阻てれば
  旦夕望軒車  旦夕 軒車を望む
  誰能讎校閑  誰か能く讎校の閑
  解帶臥吾廬  帶を解いて吾が廬に臥せん
  窗前有竹玩  窗前 竹の玩ぶべき有り
  門外有酒酤  門外 酒の酤(う)る有り
  何以待君子  何を以てか君子を待たん
  數竿對一壺  數竿 一壺に對す

十日も談笑しないでいると、一日中友の来るのを待ちわびる始末、誰か仕事の合間に、我が家へきて寛いでくれないものか(讎校:書物の対照や校正)

窗前には見事な竹があるし、門外では酒を売っている、なんで君をもてなそうか、数本の竹を一壺の酒の前に立てて君を待つとしよう






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