漢詩と中国文化 |
HOME|ブログ本館|東京を描く|水彩画|陶淵明|英文学|仏文学|西洋哲学 | 万葉集|プロフィール|BSS |
贈元稹(白居易 唐詩) |
白楽天は32歳の時に試判抜萃科の試験に合格するが、その時一緒に受験したものに元稹があった。白楽天が進士合格のエリートだったのに対して、元稹は明経科の出身であったが、努力をおこたらず準備したおかげで、難しく困難な試判抜萃科に合格した。その時の成績は、白楽天が主席、元稹は第五席であった。 試判抜萃科に合格後、白楽天と元稹はともに秘書省の校書郎という役職につき、以後生涯にわたる友人となった。元稹は白楽天より8歳も年下であり、かつ漢人ではなく拓跋部の出身であったが、役人としての能力は白楽天を上回り、後に宰相にまで上り詰めている。 そんな元稹と白楽天とは対照的な性格であったといえるが、それがかえって二人を強く結びつけたのかもしれない。少なくとも白楽天のほうでは、元稹をかけがえのない友として、生涯にわたり愛し続けた。 その元稹との間で、白楽天は多くの詩のやり取りをした。ここにあげる「贈元稹」は、永貞元(805)年、白楽天34歳の時の作品。校書郎になって足掛け3年目のことである。 白楽天の五言古詩「元稹に贈る」 自我從宦游 我の宦游に從ひてより 七年在長安 七年 長安に在り 所得惟元君 得る所は 惟だ元君のみ 乃知定交難 乃ち知る 交を定するの難きを 豈無山上苗 豈に山上の苗無からんや 徑寸無歲寒 徑寸 歲寒無し 豈無要津水 豈に要津の水無からんや 咫尺有波瀾 咫尺 波瀾有り 官吏になって以来、長安にあること七年、その間に得たものは一人元稹のみ、ついては友人の得ることの難しさを知った 山上に若木がないわけではない、いつでも足もと近くに人がいるにはいる、要津の水がないわけではない、近くに迸る流れをみることもある(友人の候補となる者はいくらでもいる) 之子異於是 之の子 是に異なり 久處誓不諼 久しく處りて 誓ひ諼(わす)れず 無波古井水 波無し 古井の水 有節秋竹竿 節有り 秋竹の竿 一爲同心友 一たび同心の友と爲り 三及芳歲闌 三たび芳歲の闌に及ぶ 花下鞍馬游 花下 鞍馬の游 雪中杯酒歡 雪中 杯酒の歡 ところが元稹は他の人とは異なって、いつまでも初心を忘れず、波のないことは古井戸のようだし、節度があることは秋の竹のようである ひとたび同心の友となってから、三度春たけなわの季節を迎えた、花の下に馬に乗って遊んだり、雪の中で盃を酌み交わして歓を尽くしたりもした 衡門相逢迎 衡門 相ひ逢迎し 不具帶與冠 帶と冠とを具へず 春風日高睡 春風 日高くして睡り 秋月夜深看 秋月 夜深くして看る 不爲同登科 登科を同じくするが爲ならず 不爲同署官 署官を同じくするが爲ならず 所合在方寸 合ふ所は方寸に在り 心源無異端 心源 異端無し 衡門に迎えあうや、帯も冠も脱ぎ捨て、春風の吹く頃は日が高くなるまで眠り、秋月の出る頃には夜更けまで月見をする、 これは登科が同じからだというわけではない、また官職が同じだからというわけでもない、ただ心が合って、胸中違うところがないためなのだ なお、白楽天には、元稹の他にも、同時代の詩人仲間が何人かいた。韓愈(4歳年上)、柳禹錫(同年)、柳宗元(1歳年下)などである。 |
HOME|白楽天|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009-2014 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |