漢詩と中国文化
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長恨歌(一):白楽天を読む


元和元(806)年、白楽天は元稹とともに制科に合格し、盩厔県の尉となった。盩厔県は長安の西方に位置し、かつて玄宗が安禄山を逃れて走る途中、愛する楊貴妃が殺された馬嵬が領内にあった。そんなところから白楽天は、楊貴妃の運命に関心を持ったのだと思われる。長恨歌はそんな関心から生まれた作品なのである。

この作品を書くことになった直接のきっかっけは、元和元年の暮に友人たちとともに領内の仙遊寺に遊んだことだった。この遊びの途中で、白楽天と友人たちは楊貴妃の運命について論じあい、それを踏まえて白楽天が「長恨歌」を書き、友人の陳鴻が「長恨歌伝」を書いた。これは白楽天のものではないになかわらず、白氏文集の中に取り入れられている。

「長恨歌」は、詩人としての白楽天の名声を決定的にした。白楽天自身は、風諭詩を以て自分の詩業の本道と考えていたが、人気と言う点では、「長恨歌」に負うところが大きかったのである。

長恨歌は、いうまでもなく玄宗皇帝と楊貴妃の悲しい運命を素材にしている。直接玄宗を取り上げるのは憚られるため、詩の中では漢の武帝をイメージしているが、これが玄宗と楊貴妃を巡る物語ということは、同時代人のすべてが了解していることであった。実際、詩の中でも楊貴妃をそれとして名指しているわけだから、当時のひとびとにとっては、バレバレだったわけである。

この詩は非常に長大な作品なので、全体を五つに区分して紹介する。まず最初(一)は、楊貴妃が玄宗によって見いだされ、その寵愛を受けるに至るまでの場面である。詩の中では、楊貴妃は直接玄宗に見出されたということになっているが、事実は、玄宗皇帝の息子の后であったところを、父親の玄宗が横取りしたのである。


長恨歌その一(壺齋散人注)

  漢王重色思傾國  漢王色を重んじ傾國を思ふ
  禦宇多年求不得  禦宇 多年 求むれども得ず
  楊家有女初長成  楊家に女有り 初めて長成す
  養在深閨人未識  養はれて深閨に在り 人未だ識らず
  天生麗質難自棄  天生の麗質 自ら棄て難く
  一朝選在君王側  一朝 選ばれて君王の側に在り
  回眸一笑百媚生  眸を回せて一笑すれば百媚生じ
  六宮粉黛無顏色  六宮の粉黛 顏色無し

漢王は美女を好み国を傾ける程の美人を得たいと思ったが、皇帝の位について長年求めても手に入らなかった、そんな折楊家に娘があってようやく成人した、深閨で養われていたのでまだ誰も知らない(傾國:国を傾けてしまうほどの美女、禦宇:在位の期間)

だが天性の資質は隠しがたく、一朝選ばれて君王の側に仕えることになった、彼女が眸を回せて一笑すれば百媚生じ、後宮の女性たちはみな色あせてしまう(六宮:皇帝の後宮、粉黛:おしろいとまゆずみ)

  春寒賜浴華清池  春寒くして浴を賜ふ 華清の池
  溫泉水滑洗凝脂  溫泉 水滑らかにして 凝脂を洗ふ
  侍兒扶起嬌無力  侍兒扶け起こせば嬌として力無く
  始是新承恩澤時  始めて是れ新たに恩澤を承くるの時
  雲鬢花顏金布搖  雲鬢 花顏 金布搖
  芙蓉帳暖度春宵  芙蓉の帳暖かにして春宵を度る
  春宵苦短日高起  春宵短かきに苦しみ日高くして起き
  從此君王不早朝  此れより君王早朝せず
  承歡侍宴無閑暇  歡を承け宴に侍して閑暇無く
  春從春遊夜專夜  春は春の遊に從ひ夜は夜を專らにす
  後宮佳麗三千人  後宮の佳麗三千人
  三千寵愛在一身  三千の寵愛一身に在り

春はまだ寒いので華清の池で湯浴みする、温泉の水は滑らかに肌を洗う、侍女が支えようとするとなよなよと力ない、これこそ楊貴妃が皇帝に初めて寵愛を受けた時であった(凝脂:むっちりとした肌)

黒髪に美しい顔に金の髪飾り、芙蓉の帳の中は暖かく春の宵は更けてゆく、春の夜が短すぎると言って日が高くなってから起きだし、そのため皇帝は朝の勤務を怠るようになった(金布搖:金の髪飾り、歩くと揺れる)

歓を尽くし宴に侍するにいとまもなく、春は春の遊び夜は夜の遊びにふける、後宮には三千人の美女が仕えているというのに、その寵愛を一身に集めていたのだった

  金屋妝成嬌侍夜  金屋 妝成って嬌として侍夜に侍し
  玉樓宴罷醉和春  玉樓 宴罷んで醉うて春に和す
  姊妹弟兄皆列土  姊妹弟兄 皆土を列ね
  可憐光彩生門戶  憐むべし 光彩門戶に生ずるを
  遂令天下父母心  遂に天下の父母の心をして
  不重生男重生女  男を生むを重んぜず 女を生むを重んぜしむ
  驪宮高處入青雲  驪宮 高き處 青雲に入り
  仙樂風飄處處聞  仙樂 風に飄へりて處處に聞こゆ
  暖歌慢舞凝絲竹  暖歌 慢舞 絲竹を凝らし
  盡日君王看不足  盡日 君王 看れども足らず

金屋で化粧を整えて傍に侍し、玉樓で宴が終ると酔い心地で春の気分にふける、姊妹弟兄はみな諸侯に封じられ、なんとまあ門戸が輝いていることよ、こんなわけで天下の父母の心をして、男を生むより女を生むことのほうを重んじるようにさせたのだった(列土:諸侯に封じられること)、

驪宮は高いところでは雲に入り、仙樂が風に乗ってそこいらで聞こえる、暖歌慢舞絲竹を凝らし、一日中視れどもあくことがない(驪宮:驪山の離宮、絲竹:管弦)






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