漢詩と中国文化
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八月十五日夜禁中獨直對月憶元九:白楽天を読む


白楽天の生涯の友となった元稹は、様々な点で白楽天とは対照的だった。白楽天がどちらかというと慎重な性格だったのに対して、大胆で自分の身を案じないところがあり、したがって世間の不正ともひるまず戦った。そんな性格がもとで、幾度も左遷されている。その一方で独特の政治感覚を持っており、宰相にまで上り詰めた。白楽天にはとてもできないことである。

そんな元稹が、元和五(810)年、江陵に左遷されることとなった。二度目の左遷で、理由は宦官と宿を巡って争ったというものであった。つまらない理由であるが、当時宦官とことを構えるのは、自らの出世にかかわる事だったのである。

その元稹が江陵に旅立ったあと、白楽天が彼を忍んで詠んだ詩が「八月十五日夜禁中獨直對月憶元九」である。


白楽天の七言律詩「八月十五日の夜、禁中に独り直(とのゐ)し、月に対して元九を憶ふ」(壺齋散人注)

  銀臺金闕夕沈沈  銀台 金闕 夕べ沈沈
  獨宿相思在翰林  独宿 相ひ思ひて翰林に在り
  三五夜中新月色  三五夜中 新月の色
  二千里外故人心  二千里外 故人の心
  渚宮東面煙波冷  渚宮の東面 煙波冷ややかに
  浴殿西頭鍾漏深  浴殿の西頭 鐘漏深し
  猶恐淸光不同見  猶ほ恐る 清光同じくは見ざるを
  江陵卑湿足秋陰  江陵は卑湿にして 秋陰足(おほ)し

銀台、金闕の間を夕闇が静かに垂れ込める、独り翰林院に宿直して君のことを思っている、十五夜の月が上ったばかり、はるか二千里の彼方に君はいる(銀臺金闕:宮殿の建物、三五夜:十五夜)

渚宮の東側では靄を帯びた波が冷やかに光っているだろう、また浴殿の西側では鐘の音が響いているだろう、残念なのはこの光を共に見られないことだ、江陵は土地が湿っぽくて雲りがちだと聞いたよ(渚宮:楚の宮殿、江陵は楚にある、浴殿:これも楚にあったもの、鍾漏:時を告げる鐘の音)






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