漢詩と中国文化 |
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不致仕:白楽天 秦中吟十首から |
秦中吟十首は、新楽府五十首とともに白楽天の風諭詩を代表するものである。同じく風諭詩でも、新楽府のほうが音楽の伴奏にあわせて歌うべきとされているのに対して、秦中吟はすべて五言古詩である。そのため、新楽府に比較していささか堅苦しさを感じさせる。作られたのは、新楽府より後、元和五(810)年ころとされている。この年の五月に白楽天は、京兆府戸曹参軍となっているから、そこへ赴任する以前に書かれた可能性が高い。ここでは、その第五首「不致仕」を紹介したい。 白楽天の秦中吟十首から「致仕せず」(壺齋散人注) 七十而致仕 七十にして致仕するは 禮法有明文 禮法に明文有り 何乃貪榮者 何ぞ乃ち榮を貪る者 斯言如不聞 斯の言 聞かざるが如くする 可憐八九十 憐む可し 八九十 齒墮雙眸昏 齒は墮ち 雙眸昏し 朝露貪名利 朝露に名利を貪り 夕陽憂子孫 夕陽に子孫を憂ふ 掛冠顧翠駑 冠を掛けんとして翠駑を顧み 懸車惜朱輪 車を懸けんとして朱輪を惜しむ 金章腰不勝 金章 腰に勝へず 傴僂入君門 傴僂して君門に入る 70歳で引退することは礼法にも明文がある、それなのに営利を貪る者は、この言葉を聞かない振りをするのか(致仕:引退すること) 情けないことに80,90にもなって、歯は抜け落ち両目は見えない身で、朝には名利を貪り、夕べには子孫の繁栄を願う始末(雙眸:ふたつの瞳、両目) 冠を脱ぎ捨てて辞職しようとしても冠の紐が気になり、車をつないで引退しようとしても車輪の事が気にかかる、金印の重さで腰も立たず、背中を丸めて君門に入る始末(金章:金の印章、傴僂:背中を丸める) 誰不愛富貴 誰か富貴を愛せざらん 誰不戀君恩 誰か君恩を戀はざらん 年高須告老 年高くして須く老を告ぐべし 名遂合退身 名遂げれば合(まさ)に身を退くべし 少時共嗤誚 少時には共に嗤誚するも 晚歲多因循 晚歲には多く因循す 賢漢漠二疏 賢なる哉漢の二疏 彼獨是何人 彼れ獨り是れ何人ぞ 寂寞東門路 寂寞たり東門の路 無人繼去塵 人の去塵を繼ぐ無し 誰もが富貴を愛し、誰もが出世を願うものだが、年をとったらさっさと引退すべきだ、名声を上げたら満足して身を引くべきだ、若い頃は年寄りをあざ笑ったくせに、自分が年をとるとぐずぐずしているのはみっともない あの漢の二疏は賢かった、どうしてそうなのか、彼らが去った後は寂寞として、だれも其の行跡を継ごうとするものはいない(漢の二疏:前漢の疏広と甥の疏受の二人、「功遂げて見退くは天の道なり」といって、いさぎよく引退した) なお、この詩は、元和年間に70歳を過ぎてもなお引退しなかった杜佑を念頭に置いた作だとされる。杜佑は晩唐の詩人杜牧の祖父にあたる。そのため杜牧は、白楽天を憎んだといわれている。 |
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