漢詩と中国文化 |
HOME|ブログ本館|東京を描く|水彩画|陶淵明|英文学|仏文学|西洋哲学 | 万葉集|プロフィール|BSS |
卓文君:白頭吟 |
卓文君は司馬相如との熱烈な恋愛で知られ、中国史上もっとも愛に忠実な女性だったということになっている。 卓文君は漢の成帝の時代に、四川の巨商卓王孫の娘として生まれた。16歳にしてある男に嫁いだがすぐに死に別れ、父親の家に戻っていたとき、客分として宴会に招かれていた司馬相如の琴の音に感じ入り、たちまちに恋に陥った。卓文君は恋情の炎に包まれるまま、父の反対を押し切り、司馬相如とともに駆け落ちしたのであった。 貧乏な二人は生活の資を得るために、酒屋を開き、そこで卓文君もけなげに客をもてなす仕事をした。父親はそんな娘の姿を目にして考えを改め、娘ら夫婦に相応の資金を与えたのである。 後に司馬相如は文才を以て武帝に認められ、要職に出世した。これも妻の力によるものだったと、中国人は今でも考えている。 日本には山内一豊の妻が、夫の出世を助ける才女として巷間に伝わっている。卓文君は国を異にするとはいえ、才女としての大先輩格といえるのである。 山内一豊が浮気をしたかどうかは知らぬが、司馬相如は他の女に心を奪われて、妻を悲しませたことがあった。その折に、妻の卓文君が作ったという詩が、今に伝えられている。 白頭吟 皚如山上雪 皚たること山上の雪の如く 皎若雲間月 皎たること雲間の月の若し 聞君有兩意 聞く君に兩意有りと 故來相決絶 故に來りて相ひ決絶せんとす 今日斗酒會 今日 斗酒の會 明旦溝水頭 明旦 溝水の頭 徘徊御溝上 御溝の上に徘徊すれば 溝水東西流 溝水 東西に流る 私の身が潔白で二心ないことは山上の雪のようですし、清く明らかな気持ちは雲間に浮かぶ月のようです、ところがあなたには他に思う人があると聞きました、それゆえ私はお別れを申しに来たのです(皚、皎:ともに白く明らかなさま、) 今日こうしてあなたと別れの杯を交わす私は、明日には溝水のほとりをさまよう身となっていましょう、そのお堀の上をさまよう私をよそに、お堀の水は淡々と流れるのでしょう(頭:ほとり、) 淒淒復淒淒 淒淒として復た淒淒たり 嫁娶不須啼 嫁娶に啼くを須ひず 願得一心人 願はくは一心の人を得て 白頭不相離 白頭まで相ひ離れざらん 竹竿何嫋嫋 竹竿 何ぞ嫋嫋たる 魚尾何徒徒 魚尾 何ぞ徒徒たる 男兒重意氣 男兒 意氣を重んず 何用錢刀爲 何ぞ錢刀を用ふるを爲さん 私は悲しい気持ちでいっぱいです、ですが決して声を出して泣いたりはいたしますまい、私の願いは真心を持った人とともに、白髪になるまで添い遂げることでした(淒淒:物悲しいさま、不須啼:泣くには及ばない、) あなたの垂らす釣り糸の竹竿はなんとしなやかなことでしょう、その釣り糸に釣られて魚が集まってきたのですね、男たるもの意気が大事、お金など何の役にも立たないのですよ、(嫋嫋:しなやかなさま、徒徒:動き回るさま、錢刀:古代の小刀、金銭として用いられた) |
前へ|HOME|漢代の詩|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2008 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |