漢詩と中国文化
HOMEブログ本館 東京を描く 水彩画陶淵明 英文学仏文学プロフィールBBS




石川偵浩「革命とナショナリズム」:シリーズ中国近現代史B


岩波新書版「シリーズ中国近現代史B」は、「革命とナショナリズム」と題して、1925年から1945年をカバーしている。1925年は孫文が死んだ年であり、1945年は抗日戦争が勝利に終わった年である。その後中国は国共内戦に突入し、共産党が権力を握る。だからこの巻がカバーしている時代は、孫文の革命理念を継承しながら、新しい国民国家としての中国を準備した時代と言えよう。

この時代の最大の課題は、抗日戦争に勝利することと、欧米列強との不平等条約を解消して自立した国家を作ることだった。そうした課題が中国人のナショナリズムを刺激した。それまでの中国人は、清朝時代の惰性的なあり方から脱却しきっておらず、国民と政治権力との間には深い溝が存在した。国民は、国民としての一体意識をもたず、したがってナショナリズムも存在しなかった。それが、対外的な困難に立ち向かうことから、国家的な危機意識が生まれ、それがナショナリズムを育んでいった。中国人が自身自身のイメージを、清朝といった王朝のイメージから、中国という国家イメージに転換したのは、この時代だった。この時代に「中国」という言葉が広く流通するようになるのである。

この時代の中国をリードする政治家は蒋介石である。よくも悪くも蒋介石がこの時代の中国を引っ張っていったというのが著者の見立てである。その蒋介石には、二つの目標があった。抗日戦争に勝利して、その勢いをかりて不平等条約を解消し、自立した国家を作り上げること。もうひとつは、政敵をことごとく粉砕して自分が権力を握ることである。当時の中国には、民族としての一体感がなかったくらいだから、国家としての一体感もなく、全国を支配している正統な政治権力も存在しないといってよかった。そういう状態で、多元的な権力が混在していたわけだが、蒋介石はそうした多元的な権力を粉砕し、自分に権力を集中させることで、一元的な権力にもとづいた政治体制を創出しようとつとめた。その場合に、蒋介石にとって最大のライバルになったのが、共産党だった。だからこの時代には、蒋介石の国民党と、共産党との確執が時代を彩る最大の要素になった。

蒋介石の行動は、多分に矛盾に満ちたものだった。その矛盾は、抗日戦の勝利と共産党の粉砕といった、かれの最大の課題が内在させていた矛盾であった。抗日戦に勝利するためには共産党と結ばざるを得ず、その共産党の勢力が伸びることは、自分の権力地盤をあやうくすることにつながる。そこから蒋介石の矛盾した行動が生まれる、というのが著者の解釈である。

抗日戦の最盛期には、蒋介石は、国内の政治状況からして、抗日戦の勝利と、そのための共産党との提携を優先させざるを得なかった。だが、共産党があまりにも強くなったと感じた時には、抗日戦を緩めて対共産党闘争に舵をとった。第一次国共合作の解除はそうした思惑から生じたことであり、抗日戦末期における共産党弾圧もそうした思惑からなされた。抗日戦の最終局面では、蒋介石は共産党粉砕に最大のエネルギーをそそぎ、そのために民衆に対して過酷な態度も取った。それが民衆を国民党から離反させることにもつながった。もっと悪いことには、蒋介石は共産党をたたくためには、日本軍を利用することさえためらわなかった。こういう姿勢が中国民衆の反感をかい、やがて共産党によって大陸を追われる事態につながっていった。

この時代の共産党は、決して大きな勢力ではなかった。中国共産党ができたのは1921年のことだが、それはコミンテルンの中国支部という位置づけで、したがって政治的な自立性をもっていたとはいえなかった。コミンテルンすなわちソ連の思惑に従わされる傾向が強かった。党の権力を握っていたのも、コミンテルン派といわれるような国際派であり、毛沢東らの土着派は少数派だった。それが毛沢東に権力が集中するようになり、しかも蒋介石にとっての軍事的脅威に成長するのは、抗日戦への対応を通してだった。共産党は、毛沢東の指導のもとに、抗日戦に重大な貢献をし、そのことによって次第に政治勢力を強めていったのである。

ともあれ、大戦すなわち抗日戦が終わった時点では、まだ蒋介石が中国政府を代表していた。大戦の処理をめぐってもよおされた一連の重要会議には、蒋介石が中国を代表して参加した。そうした会議を含めて、連合国の力関係のなかで中国は重要な同盟国とみなされるようになり、戦後の国際関係のなかで、それなりの位置づけを得るようになった。そうした動きの中から、台湾の回復を始め、日本によって押し付けられた不平等条約をことごとく廃棄させたほか、欧米諸国との不平等条約の解消も実現した。中国の場合には、第二次大戦の戦勝国になったことが、植民地的なくびきからの開放と国家としての自立性の獲得につながったわけである。




HOME中国史覚書次へ






 


作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009-2020
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである