漢詩と中国文化
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岡本隆司「中国の論理」


著者は中国史の専門家のようだが、中国は嫌いだという。ではなぜ中国を専門にするかというと、それは中国が面白いからだという。我々日本人は、長い歴史的な背景から中国を理解したつもりになっているが、じつはわかっていない。中国人の発想がわからないのだ。だから不気味に感じたり、著者のように嫌いになる日本人が多い。今の日本に充満している中国嫌いは、そんなことが原因で起きている。だから、中国と付き合おうと思ったら、中国人の発想の仕方と、それにかかわる論理を理解しなければならない。どうもそんなことを著者は言いたいようである。

中国はいまや、名実ともに世界の大国である。自分自身もそれを意識して行動するようになった。ケ小平の時代には、韜光養晦などといって、なるべく謙虚に振る舞おうとしていたが、習近平が権力を握ると、昂然と中国の夢を語って民族的な自尊心を表に押し出すようになった。そのことで、欧米諸国や日本とぎくしゃくするようになり、ときには鋭く対立するようになった。その理由の最大のものは、中国人の論理が欧米人の論理とかみ合わないことである。日本人も欧米人の論理を採用していると言えるから、日本人も中国人の発想がわからない。

その中国的な発想を著者は「中国の論理」というわけだが、それはどのようなものか。ごく単純化して言えば、中国を世界の中心に位置づけ、それを座標軸にして世界を見るという発想である。これは伝統的に中華思想とか華夷思想とか呼ばれている。実に自己中心的で、融通のきかない見方である。これでは外国と対等の立場で話し合うことはできない。外国は一段劣った存在であり、教化の対象ではあっても、対等に接するべき相手ではない。こういう考えが身に沁みついている。欧米の世界観はそれに対して、世界はさまざまな国からなり、それらが共存したり対立したりしながら、一定の秩序が作られていくと考えている。世界秩序は、国際関係の中から事後的に形成されていくもので、したがって諸国民の意識的な努力が大いにものを言う。

中国人はそのようには考えない。世界はそもそも中国を中心にして成り立っており、周辺にいくほど野蛮になる。これは天が定めた当然の秩序である、と考える。そういう考えであるから、諸外国と合理的な交渉はできない。一方的に相手に自分を押し付けるか、あるいはその反対に一方的にやっつけられるかのどちらかだ。国力が弱いうちは一方的にやつけられていたわけで、その結果中国は半植民地状態に甘んじた。いまはその逆で、相手を一方的に力で抑えようとする。南シナ海をめぐる東南アジア諸国との領土争いや、尖閣をめぐる日本との領土争いにそうした一方的な論理が働いている。その問答無用の姿勢には、中国こそが文明の中心であり、周辺の国々は教化の対象としての野蛮な国と見る考えが働いているのである。

中国にも、近代化の過程において、欧米諸国の論理にすりよろうとした時期はあった。欧米や日本が強力な国力を維持しているのは、政治制度をはじめとした諸々の構造的な要素に独自な論理が働いているからではないか。その論理は、自由・平等・民主といった価値観と結びついている。その価値観が民主主義的な社会制度の基礎となっている。中国も、近代的で豊かな国を作ろうと思ったら、外面的な制度を取り入れるだけではなく、内面的な思想を取り入れることが必要だ。その場合に参考になるのは日本だ。日本が近代国家として成功したのは、なんといっても西洋のいいところを取り入れたからだ。そういう考えに基づいて、西洋化への努力がなされた時期もある。日本では和魂洋才と呼ばれているものを、中国では中体西用と呼んで、いわゆる洋務運動が盛んになったこともある。しかしそうした動きは、結局実を結ばなかった。いまや大国になった中国を動かしているのは、伝統的な華夷思想である。そう著者は言って、中国が全然変わっていないということを強調するのだが、変わらないということは、著者にとっては悪徳なのである。それでは国際秩序のなかに座を占めるわけにはいかないというわけである。

華夷思想を基礎づけているのは儒教、とりわけ朱子学であると著者は言う。朱子学は、日本でも、徳川体制の身分秩序を合理化する働きをしたが、中国ではもっと本格的に身分社会のイデオロギーとしての役割を果たした。それは国内的には、支配者と被支配者への社会の分裂を合理化し、対外的には、中国を中心とした上下の秩序を合理化した。秩序は、朱子学によれば天に与えられた不動のものであり、人間の力でどうにかなるものではない。人間はただその秩序にしたがっておればよい。こういう考えは、国内的には民族統合とかならずしも衝突するとはかぎらないが、対外関係においては、衝突のタネになる。相手を頭から野蛮人扱いしていたら、まともな国際関係が築けるわけがない。ところがいまの中国のやっていることは、まさしくそういう尊大な態度に基づく行動なのである。そういう行動が、国際社会の反発を生むのは避けられない。日本でも中国嫌いが広がる所以である。

それゆえ、今後の中国にとって肝心なのは、国際社会で生きるためには、国際的なルールに従えということだ。そのルールとは、欧米がこれまでに築き上げてきたものだ。日本もまたそのルールに従っている。中国も是非そうすべきだ、というのが著者の基本的な考えのようである。日本が明治維新の際にやったこと、つまり脱亜入欧を、中国も遅ればせながらやるべきだというわけである。




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