漢詩と中国文化
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上官家の娘たち:莫言「豊乳肥臀」


上官家には、男子の金童のほかに八人の娘たちが生まれた。こんなに沢山の娘が生まれたわけは、母親の上官魯氏が男の子を望んだからだ。男の子さえ生まれれば老後の安泰を期待できると考えたのだ。しかしやっと生まれてきた男の子である金童は母親の期待にそうことができなかった。それどころか、母親の負担になるばかりだった。そんなドラ息子でも、母親は心を込めて愛し続けたのである。それを読むと、中国人の母親が息子に注ぐ愛情の異様さを感じさせられる。

そんなわけで、金童には八人の姉があった。そのうちの一人、八番目の姉は双子の姉である。一番上の姉は、本名は来弟というが、中国の慣例にしたがって大姐と呼ばれている。彼女は金童が生まれたとき、十代の終わりだった。美しい女性として描かれている。抗日ゲリラの棟梁沙月亮に惚れるが、母親はそれを喜ばず、来弟を孫唖巴に与えた。唖巴は唖という意味で、かれは口がきけなかったのである。そんな唖巴を毛嫌いした来弟は沙月亮と行動を共にする。やがて生まれた女の子沙棗花を母親に育ててもらうのだ。ところが抗日戦が終わり、その時点で日本軍に協力していた沙月亮は漢奸の汚名を着せられ、首を吊ってしまうのである。寡婦となった来弟には過酷な運命が待っていた。漢奸の妻として迫害の対象となったほか、唖巴に結婚生活を迫られたりする。やがて、戦後だいぶたって戻ってきた鳥人韓と恋に落ち、韓との間に子供をもうけたりするが、最後には孫唖巴殺害容疑で死刑になってしまう。その処刑の直前彼女は男の子を産んだ。鸚鵡の韓と呼ばれるようになるその男の子も、母親の魯氏が育てるのである。

二女つまり二姐は招弟といって、来弟同様母親が叔父のタネを貰ってできた子だ。彼女は、国民党系のゲリラ司馬庫の妾となる。抗日戦に勝利した当初は、国民党の勢いに乗って羽振りがよかったが、やがて共産党が優位を占め、国民党が圧迫されるようになると、戦闘の最中に夫司馬庫の膝の上で死んでしまう。司馬庫の双子の娘たちも、共産党によって殺されてしまうのである。

三姐は領弟といった。彼女は風来坊の鳥人韓に惚れて、結婚を誓い合ったのだが、鳥人韓が徴用工として日本に連行されてしまうと、どういうわけか、巫女になった。鳥の巫女といって、鳥を媒介にして霊媒を行なうのである。その効験が周囲一帯に知れ渡って、各地から占いを求めに人が集まってきた。しかし本人は、半分痴呆のような状態だったのだ。そんな彼女を孫唖巴が強姦する。唖巴は戦闘の為に下半身を失って、イザリのような状態になっても、性欲は失わなかったのだ。ところが三姐は、強姦されたにかかわらず、唖巴に対して強い欲望を覚えるのだ。彼女はかつての婚約者鳥人韓の帰郷を待たずに死ぬのである。

四姐は、上官家の不幸な娘たちのなかでも最も不幸な娘だった。飢饉が広がってもっとも困難な時期に、飢えにせまられた一家は、娘を売りに出さねばならないはめに陥った。その時に四姐の想弟が、自分自身を遊女屋に身売りし、その金で一家が食いつなげるように取り計らうのである。彼女は数十年後に上官家にあらわれる。全財産を身に着けていたのだが、それを共産党の腐敗幹部に横取りされ、裸一巻になってしまうのである。彼女も又、速やかに死ぬことになるであろう。

五姐は?弟といって、上官家の娘たちのなかではもっとも世渡りがうまかった。彼女は共産ゲリラの指導者蒋立人と結婚したのだが、これがのちに幸いした。共産党が内戦に勝利し、権力を握ると、蒋立人は俄然羽振りがよくなるのだ。かれは魯立人と名を変えて共産党幹部になり、五姐もまたそのおこぼれにあずかるようになるのだが、どういう具合かあまり容量がよくない。そこで、実家の上官家が大ピンチに陥っても、なすことなく眺めているだけなのだ。そんな?弟を母親や金童は薄情だと言って責めるのである。そんなわけで彼女は、金童の記憶に長くとどまることはない。いつの間にか語る対象から消えてしまうのである。

六姐は念弟といった。司馬庫が内戦の合間に故郷に凱旋してきたさい、アメリカ人をともなっていた。そのアメリカ人をバビットといい、映画の映写を得意にしていた。そのバビットに念弟は惚れてしまい、一緒に行動するようになるのだが、国民党の勢いがあやしくなり、司馬庫も行方をくらますようになると、バビットは攻撃の対象となり、それにまきこまれた念弟も命を落としてしまうのだ。

七姉は求弟といって、上官家が娘たちを売りに出したときに、ロシア人女性に買われたのだった。彼女はその時点でいったん小説から姿を消すのだが、十年以上たった時点で現われ、ロシア語を自由にあやつる人間として描写される。彼女も金童も互いに同胞だと認識しあうのだが、どういうわけか心を通わせあうまでには至らず、七姐は悲惨な死に方をするのである。饅頭を喰いながら強姦され、その饅頭を喉につまらせて窒息したようなのだ。

八姐は金童の双子の姉である。この盲目に生れついた姉のことを金童は哀惜の情を込めて語っている。というのもこの姉も悲しい死に方をしたからだ。食糧難がもっとも厳しいおり、母親が自分たちに食べさせるために必死になっているのを見て、自ら口減らしのために死んでいったのである。そんな八姐のことを思うと、金童は心が痛むのを感じるのだ。「これまでのさまざまなことが、心に突き上げてきた。盲目の人の心は、鏡のように澄んでいると人は言うが、あなたは見えない目で、この世に見切りをつけていたのだ」。なんとも悲しい思いではないか。

こんな具合で、上官家の八人の娘たちのうち、五女の?弟をのぞけば、皆母親より先に死んでいる。しかも悲惨な死に方だ。だがその悲惨さが、中国の現代史にとっては、決して例外的なことではなく、中国の庶民にはよくある境遇だったというふうに伝わって来るのである。この小説が、愛国心に欠けるという理由で葬られそうになったのは、中国をあまりにも暗く描いたことにあるようだ。




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