漢詩と中国文化
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犬肉と黄酒:莫言「白檀の刑」


小説「白檀の刑」は、孫眉娘の独白から始まる。彼女には三つの綽名がある。大足仙女、半端美人、犬肉小町である。大足というのは、彼女はあまり育ちがよくなく、当時の中国人女性にとっては両家の子女のあかしであった纏足を施されることがなかったために、足が天然のまま育ってしまったからだ。纏足で委縮したサイズが標準だった当時の中国女性としては、天然の足はみっともない大足に見えたのである。

つぎに、半端美人という綽名はともかく、犬肉小町というのは、彼女が犬肉屋の女房だからだ。彼女は二十歳でオールドミスになりかかったところを、母親によって肉屋に片づけられたのであったが、その肉屋の亭主は、牛や豚のほかに犬の肉も売っていたので、犬肉屋の女房とか犬肉小町と綽名されることになったわけであった。

我々日本人には犬肉を食う習慣はないが、中国人や朝鮮人は犬肉を好んで食うらしい。わざわざ肉用に犬を育ててもいるらしい。どこがうまいのか、我々には想像もつかないが、莫言の小説を読むと、うまそうに食っているシーンが出て来るから、中国人にとってはご馳走なのだろう。この小説のほか、「赤い高粱」でも、主人公が犬の頭を食うシーンが出て来る。

そんな中国人の犬肉食いの習慣を、欧米人は薄気味悪く思っているらしい。中国人への敵意が何らかの理由で高まると、中国人の野蛮さを、犬を食う習慣に結びつけてことあげすることがよくなされる。今回のコロナウィルス騒ぎで中国人への差別意識が欧米で高まった際にも、中国人に対して犬肉食いを理由に差別的な発言をする例が目立って増えたそうだ。アフリカでは、ピグミー族が猿を喰うことを理由に差別されているというが、欧米では中国人が犬肉を喰うことを理由に差別されているわけである。

それはともあれ、孫眉娘は恋する銭丁を訪ねる際には、必ずといってよいほど、犬肉と黄酒を手土産にして出かけるのである。黄酒というのは、中国でもっとも普及している醸造酒であり、紹興酒などもこの部類に含まれる。日本では老酒と呼ばれることが多いが、老酒というのは、黄酒にかぎらず、古い酒に共通した呼び方だそうだ。紹興酒には花彫とか陳年といった銘柄も見かけるが、これも古い酒という意味の普通名辞だそうだ。そのうち花彫のほうは、娘が生まれた時に、将来の嫁入り道具として仕込まれる酒をさしていうのだと、いつか中国旅行をした際に、ガイドから聞いたことがある。

犬肉のほうについていえば、眉娘が銭丁を見舞う際に持参するのは、だいたいが足の部分である。どのように調理しているか、小説は詳細を明らかにしていないが、おそらく茹でるか煮るかしているのだろう。小生は犬肉を食ったことはないが、豚の足ならドイツで食ったことがある。その際は、塩ゆでにした豚の足が出てきた。ドイツ人はこれが好きなのだそうだ。アイスバインという由である。小生はうまいとは思わなかった。

眉娘が銭丁を見舞うのを、銭丁の妻は快く思わない。当然のことだと我々日本人には思えるが、正妻の他に妾を蓄えるのは、清代の中国の高級役人にはよくあったことのようだから、決して不道徳なこととは思われていなかったはずだ。にもかかわらず、銭丁の女房が眉娘に敵意を抱くのは、嫉妬からだろう。その嫉妬をむき出しにして、彼女は眉娘を犬肉屋の女房と言って罵るのである。

その銭丁の妻が、眉娘に対して嫌がらせをおこなっているうちに、眉娘が絶体絶命の危機に陥ったときには、どういうわけか助けてやるのである。同じ男根を共有している誼からということか。その銭丁を含めて、この小説に登場する中国人たちは、袁世凱を覗いて一人残らず不幸な結末で生涯を終えるようなのである。それはこの小説がカバーしている清末の時代の中国の置かれていた状況を象徴するようなものとして、我々現代の読者には伝わって来るのである。

ともあれ犬肉と黄酒とを、銭丁はこの世に生きていた時の食い納めとするのである。しかし犬肉も黄酒も、あまり上等なものとはされていなかったらしいことは、やや高級らしい店で振る舞われたのが、牛の醤油煮と高粱酒だったということからわかる。中国人は、豚は好んで食うが牛は食わないと小生は思っていたので、この小説の中で牛を食う場面が出てくることはやや意外だった。




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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2009-2020
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