漢詩と中国文化
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牛への転生と文革時代:莫言「転生夢現」


西門鬧が牛に転生してこの世に登場するのは、1964年10月1日のことだ。この日、牛の市場が開かれ、そこに牛を見に行った藍瞼が、西門鬧の生まれかわりである仔牛を見て、一目で気に入ってしまい、自分の家に連れ帰ったのであった。おそらく生まれて間もない時のことだったと思う。西門鬧がロバとして死んだのは1960年のことだから、四年ぶりに転生したわけだった。

西門鬧がどういういきさつで牛に転生したかは、くわしく語られない。というのも、ロバの場合と異なって、牛としての西門鬧は殆ど語ることがないからだ。牛に代わって語るのは藍瞼の息子藍解放である。その藍解放が、西門鬧の六度目の生まれ変わりである大頭の藍千歳に向って語り掛けるという体裁をとっている。したがって、藍解放の視点から物語が語られるわけで、牛としての西門鬧は語りの主体ではないのである。

西門鬧が牛として登場した1964年は、大躍進政策の混乱から回復した中国社会が束の間の安定を取り戻した年だった。大混乱がもたらした飢饉によって、ロバでさえ食われてしまったのだから、ましてや牛は死に絶えたかと思われていた。ところがあっという間にまるで地から湧いて出て来たように、大勢の牛が市場に現われたのだった。その牛のなかに、西門鬧の生まれ変わりの仔牛を見た藍瞼は、その仔牛との間に運命の結びつきのようなものを感じ、自分のものにせずにはおられないのだ。

その後、仔牛は生涯を藍瞼と共に過ごし、最後には藍瞼の生き方に殉じるようなかたちで死ぬのである。死んだ時には、仔牛は立派な牛に成長していたのだったが、いつ死んだかについては、明示されてはいない。だが、文革のさなかだったことは間違いない。文革の期間中、藍瞼は人民公社化運動に参加せず唯一人個人農を通したために、周囲から迫害を受けたのだった。その迫害をともにするような形で、牛としての西門鬧は死ぬのである。

そんなわけで、牛に転生した西門鬧の物語は、文革時代の中国を舞台として、階級闘争に名を借りた権力争いとか、紅衛兵たちによる無茶苦茶な政治ごっこが主な内容になる。

文革が始まるのは1966年のことで、それから10年間、中国社会は激動につつまれた。文革が始まる前にも藍瞼は迫害されていたが、始まったあとはもっとひどい迫害を受けた。文革が始まる前は、集団化を進める共産党幹部から迫害されたのだったが、文革が始まってからは、紅衛兵の威力を背景にわけのわからぬ連中からの迫害がひどくなった。その迫害に耐えきれず、藍瞼の家族、つまり妻と金竜、宝鳳兄妹がまず藍瞼を見捨てて人民公社に加わる。そんな彼らに藍瞼は、所有していた農地を五分割して、そのうちの三人分と、更に農具のたぐいをハナムケに与えたのだった。

藍解放は父親の藍瞼に従って、残された農地の工作を続けた。昼間は周囲の目がうるさいので、夜中に月あかりをたよりに農地を耕すのだった。そのうち、藍解放も父親を見捨てて出ていく。かれは、村八分にされて、誰からも相手にしてもらえないのが、つらいのだった。そんなわけで藍瞼はひとりぽっちになってしまうのだが、それについて不平を言うでもなく、自分の農地を黙々として耕し続けるのだった。

金竜はもともと藍瞼の実子ではなく、西門鬧の残した種だった。そんなこともあって、藍瞼に対して容赦なくふるまうようになる。かれは世渡りがうまく、その時々の時流に乗る方便を心得ていたので、順調に出世していった。彼はまた紅衛兵をうまく使い、共産党の幹部や反動と目された連中を吊るし上げた。「金竜とやつの紅衛兵に連行されて引き回されていたのは、もとの党支部書記の洪泰岳のほかには生産大隊長の黄瞳がいた。日本軍の傀儡保長だった余五福、富農だった伍元、党の裏切り者張大壮、地主の女房西門白氏などの札付きの悪人以外に、おれのお父の藍瞼もいた。洪泰岳は怒り狂い、張大壮は潮垂れ顔で、伍元は涙をぽろぽろ流し、白氏は髪振り乱して垢だらけ。お父の顔のペンキはまだ洗い流されておらず、両の目は真っ赤で、絶えず涙が流れていた。お父の涙は心の弱りの現われではなく、ペンキで角膜が傷ついたせいだった。首から紙看板をぶら下げていて、そこには兄貴の金竜が書いた大きな文字で、<臭くて頑固な個人農家>とあった」

このように書かれるように、文革時代の中国は、ある種の下克上が横行する社会で、あらゆる秩序がひっくり返っていたさまを、こうした部分から読み取ることができる。

そういた混乱のなかで、転生牛は殺されてしまう。殺したのは、ほかならぬ金竜だ。金竜は、転生牛が人間の言うことを聞かないのは、自由奔放な生き方をしているからだと言って、転生牛の鼻に穴をあけて、轡を通そうとする。その際に、真っ赤にやけた鉄の棒を鼻の穴に突っ込まれたために、転生牛は焼き肉のような状態となり、ついには命を落としてしまうのだ。その様を見ていた藍解放は、あまりのおぞましさに叫ばずにはいられない。「金竜よ金竜。この牛がおのれのお父の転生だとわかったら、あんたはどう思うだろう? 西門牛よ西門牛。血を分けた息子がこれほど残酷なやり方で自分を扱うことを、あんたはどう思っているのだろう? なんと、果てなき人の世にどれほどの恩愛と憎悪が積み重なっていることか」

転生牛は、最後の力を振り絞って、藍瞼の個人農地のなかで絶命する。あたかも、藍瞼の大義を訴えるかのようにして。その行為が、人々の目を覚まさせた。西門牛は義牛とたたえられ、その墓は「義牛の塚」と呼ばれて名所となった。

以上、牛への転生をテーマにした部分は、文革時代への批判という要素を強く帯びていると概括することができよう。




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