漢詩と中国文化
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鄭義を読む


鄭義の存在を知ったのは、大江健三郎の往復書簡集を通じてだった。「暴力に逆らって書く」と題された往復書簡集の中で大江は、世界で活躍している十一人の文化人と書簡のやりとりをしているのだが、その一人に鄭義がいた。西暦2000年のことで、その時鄭義はアメリカで亡命生活をしていたのであったが、そんな鄭義に向って大江は、日本が彼に亡命の場を提供できないことに恐縮していた。それに対して鄭義は、自分は国を出てはじめて祖国への強烈な愛を感じたと返したものだ。

鄭義が亡命を余儀なくされたのは、1989年の天安門事件にさいして、共産党政府を激しく批判したためだ。お尋ね者になった鄭義は、一時中国国内に潜伏していたらしいが、その後妻と共にアメリカに亡命できた。いまもなお、アメリカで生活しているらしい。

鄭義の作風は、中国の農村に暮らす庶民の生活を、中国の歴史とか文化を織り込みながら、壮大なスケールで描きだすことだと言われる。大江健三郎は鄭義の作風をグロテスク・リアリズムと呼んでいるが、小生がまず「古井戸」を読んだ限りでは、グロテスクという印象は受けなかった。もしそこに大江の言うようなグロテスクな要素が認められるとしても、それは意図的にそう描いているわけではなく、中国社会というものの持っているグロテスクな要素がそう感じさせるのだと思う。

そこでその「古井戸」という小説だが、これは山西省の大行山脈の中を舞台にして、中国山村に暮らす人々の生活を描いたものである。この作品に描かれている中国人の生活が、内陸の農山村部に暮らす人々の典型的なパターンなのかどうか、小生には判断がつかないが、もしそうだとしたら、中国の庶民というのは、いまだに絶対的な貧困とともに生きているということになる。その絶対的な貧困は、かれらが農業で生きているのに、その農業がなかなか立ち行かないことに由来する、というふうに伝わって来る。その原因は、水がなく、したがって土地が痩せていることだ。この小説は、水を得るために井戸を掘り続ける人々の苦難を描いているのである。小説であるから、庶民の苦難ばかりを描いていては話にならない。そこで若者の恋を絡めながら、そこに千年にまたがる村の歴史を織り交ぜて、壮大なスケールを以て話を展開させていくというわけだ。

舞台は大行山脈の山西省側にある小さな村老井村。この村は、いまから千年前に、河北省で食いつめた祖先がはるばるやって来て植民した土地だということになっている。当初はそれなりに豊かな土地だったらしいが、そのうち水が枯れて貧しい土地になった。人々は水を得るために井戸を掘り続け、いまでは枯れた井戸があちこちに残っているありさまだ。それらの井戸を掘る為に、村人たちは大きな犠牲を払ってきた。小説の主人公孫旺泉の家でも、曽祖父、父が井戸掘のおかげで死に、大叔父は掘削時の事故のために発狂したということになっている。

それでも井戸は掘り続けねばならない。でなければ生きてはいけないからだ。孫旺泉もその使命に燃えている。彼には恋人がいて、彼女を妊娠させたりもするのだが、望み通り結婚することができない。家が貧しいからだ。死んだ父親に代わって保護者となっている祖父は、旺泉を養子にやって、得た持参金を元手に弟に嫁を迎えたいと思っている。旺泉は気が進まないのだが、家のことを考えて養子になる決意をする。養子になることを旺泉は嫁入りするのだと自嘲気味にいう。実際、養子は頭があがらず、こきつかわれて、人間としての尊厳を保てないのだ。そういう場面を読むと、中国の庶民の因襲的な家族制度が思いやられる。

そんな旺泉が、恋人巧英の協力を得ながら、井戸を掘り続けるところを小説は描く。旺泉は高校教育を受けたこともあって、近代的なところもあり、また科学的な思考ができた。その科学的な思考に基づいて、井戸に適した土地を探し出し、そこに深い井戸を掘る。井戸掘りには村中が協力する。それは厳しい作業で、旺泉の親友孫旺才が事故死したりする。旺才の父親は、息子が嫁もとらないで死んだことを憐れんで、近隣の村で死んだという十二歳の少女の遺体を買ってきて、息子と共に埋葬し、あの世で夫婦になれるように取り計らってやるのである。そういうところは、日本人には全く考え及ばないので、文化の相違を強く感じさせられる。

旺泉の恋人巧英は、旺泉以上に近代的な考えをもっており、農薬や消毒を有効に活用することで農産物の収穫も多くあげる。だから村中からある種の尊敬を受けたりもするのだ。彼女としては、旺泉の子供を堕胎させられ、複雑な気持ちにならざるをえないのだが、どうしても旺泉と別れることが出来ずに、かえって旺泉をそそのかして、一緒に駆け落ちしたいと思う。だが旺泉は彼女の誘いに乗らない。いやいやながら結婚した妻に子供も生ませたし、いまではその子がかわいい。だから巧英と一緒に駆け落ちするわけにはいかないのだ。がっかりした巧英は、一人村を去る決心をする。まだ若いのだし、人生はやり直せる。このまま村で老いていくわけにはいかない。

こういう具合で、一応悲恋物語の要素も色濃く持っている。小説の結末は、主人公旺泉の恋が破れたことをことさらに強調しているのである。その部分を紹介しておこう。「猛然とトラクターが発車した・・・。その一瞬、孫旺泉は永遠に巧英を失った」。こういう言葉を聞かされると、生きていることの切なさを感じさせられるものだ。この小説にはそういうところがある。

なお、この小説の時代背景は、1979年からの四年間ということになっている。ちょうどケ小平の改革開放路線が始まった頃で、中国には近代化の嵐が沸き起こっていた。その嵐は、沿岸地帯には瞬く間に押し寄せたが、山西省の山の中まではなかなか及んでこなかった。だから民衆はあいかわらず、因習的な生き方をしているわけだが、巧英のような進んだ頭の持ち主にとっては、振る舞い方によっては明るい未来が見えてきた、と感じられるところもあるというふうに、この小説は提示して見せてくれているようである。



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