漢詩と中国文化
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虚偽の社会を描く:魯迅「阿Q正伝」


阿Q正伝」は魯迅の代表作であり、中国文学にとって記念碑的な意義を持つ作品であるから、幾通りもの読み方を許容するような広がりと深みを持っている。もっとも素直な読み方としては、阿Qという人物を通して、辛亥革命が中国の一般社会にどのようなインパクトを与えたのか、それを考えさせるものだとする読み方もあるだろうし、また、そもそも辛亥革命が矮小なものに終わりがちだった所以、それを暴露するのが主な目的だとする読み方もあるだろう。そして、そこで暴露されているのは、中国社会に蔓延する虚偽なのであり、それは、いいかえれば、「狂人日記」のなかで主人公が糾弾していた旧弊、つまり食人道徳というべきような、非人間的な道徳観念なのだということになる。こうした見方に立てば、「阿Q正伝」は「狂人日記」の中で提示されていたテーマを、ぐっと進化させたものだということもできよう。

こういっても、この作品は、政治的なテーマを取り扱った作品にありがちな、空疎な観念性は免れている。それは、阿Qという人物の造形がうまく働いているからだろう。魯迅はこの阿Qという人物を、非常に生き生きと描き出すことによって、阿Qを中心に展開される物語に、強烈な存在感を醸し出しているのである。

阿Qという人物は、当時の中国の民衆のなかにあった、あらゆる種類の悪徳を体現する人物像として描かれている。彼は権威に弱い。卑屈なのである。世の中の秩序を盲信して、それがどこかおかしいなどと疑うこともない。たとえば辮髪は、もともと異民族によって強要された風習であるが、いまとなっては自分たちの暮しの中に解けこんでいて、なんらおかしさを感じることがない。世の中というものは、現にあるままに流れていくものなのであり、その流れの中では、強い者が先へ進み、弱い者は押し流されていくものなのだ。

しかし、阿Qも他人から理不尽なことで殴られたりすると、さすがに面白くない。しかし相手が自分より強ければ刃向うこともできない。そこで阿Qは変な理屈を持ちだして自分を慰める。いま殴られたのは、息子に殴られたようなものなのだ。だからそう大事に考えなくてもよい。いまの世の中は息子が父親を殴るような変な世の中なのだから、自分が殴られても不思議ではない。だからくよくよすることはない、といって、精神の平衡を保つのだ。それを魯迅は「精神勝利法」と呼ばせて、卑屈な奴隷根性の象徴として描いている。そして阿Qの卑屈な奴隷根性は、阿Qだけの特殊なあり方ではなく、中国の民衆全体に共通した情けない態度なのだ、と魯迅はいうのである。

一方阿Qは、自分より弱い者に対しては横柄に振る舞う。相手が弱々しい尼僧だとみると露骨にいじめたりもする。えげつない男なのだ。時には下女に手を出して、その雇い主からこっぴどい目に会うこともある。そんな折にも阿Qは、例の精神勝利法で自己欺瞞に励むのである。

そんな阿Qの周辺に、ただならぬ空気が立ち込めるようになる。城内で起きた革命の嵐が、阿Qの暮らしている村にも押し寄せてくるのだ。この嵐を前に、村の中は大騒ぎになる。それを見ていた阿Qは、自分も革命に加われば、何かいいことがあるのではないか、と思い始める。革命で勝利者の側に立てれば、いままで風下に甘んじていた連中に一泡食わせてやれるかもしれない、そう思うのである。

「謀反か。おもしれえぞ・・・白兜白鎧の革命党が乗り込んでくる。手には青竜刀、鉄の鞭、爆裂弾、鉄砲、三つ又の剣、鎌先の槍。地蔵堂の前を通りがかって『阿Q一緒に来い』って誘うんだ。そこで一緒についていく・・・そうなると未荘の有象無象が見ものだろうて。誰が聞いてやるものか。まっさきにやっつける野郎は、小Dと趙旦那だ。それから秀才。それからにせ毛唐。何匹残してやるかな。ひげの王は、残してやってもいいのだが、ええ、やっちまえ」(竹内好訳、以下同じ)

このように、日頃の鬱憤を晴らすかのように、革命への阿Qの思い入れはますます強くなるのだが、現実の阿Qは何もできない。革命党から誘われることもないし、したがって恨みのある奴に復讐する機会もやって来ない。かえって、阿Qが復讐してやりたいと思っている連中の方が、うまく立ち回って、革命党に入る者もいるくらいなのだ。

そうこうするうちに、革命騒ぎに乗じて、盗賊たちが暗躍する。すると阿Qは、その一味だと決めつけられて、しょっ引かれてしまうのである。

わけのわからぬまま阿Qは裁判にかけられ、どうやら死刑判決が下される。どうやら、というのは、阿Qがそうとはわからぬ間に、そのようになってしまったからだ。こうして阿Qは刑場へと駆り立てられていく。

「阿Qは、一台の幌なしの車に担ぎあげられた。短衣の男が数人、同じ場所へ乗り込んだ。車はすぐ動き出した。前方には、鉄砲を担った兵隊と自警団がいた。両側には、ぽかんと口をあけている見物人の群がいた。後方はどうか。阿Qは振り向いて見なかった。だが彼は、急にハッと気が付いた。これは首をちょん切られに行くのではないか。しまった、と思う途端に目がくらんで、耳の中でガーンと音がして、気が遠くなりかけた」

車が通る道沿いには大勢の見物人が押しかけてきた。その中には手を出そうとしてこっぴどい目にあった下女の姿もあった。見物人を眺めていると、それらの目が、以前山の中で出くわした狼の目を思い出させた。ところが、今回はそれよりも恐ろしい目が、阿Qを取り囲んでいる。「それらの目どもは、スーッと、一つに合わさったかと思うと、いきなり彼の魂に噛みついた」のである。

こうして、阿Qはあっけなく処刑されて死んでしまうのであるが、そのことで、世の中は何ら変わることもなかったし、ましてや阿Qに同情する言葉が聞かれるわけでもなかった。

「世論はどうかというと、未荘では、一人の異論もなく、当然阿Qを悪いとした。銃殺に処せられたのは、その悪い証拠である。悪くなければ、銃殺などに処せられる道理がないではないか。一方、城内の世論は、あまり芳しくなかった。彼らの多くは不満であった。銃殺は首切りほど面白くない、というのだ。しかも、なんと間の抜けた死刑囚ではないか。あんなに長い間引き回されていながら、歌ひとつ歌えないなんて、ついて回っただけ歩き損だった、というのであった」

この最後の部分は意味深長である。同胞が殺されるのを喜んで見物する風習は、魯迅の時代の中国人には沁みこんでいたようだ。それ故にこそ、あの幻燈のなかに出て来た中国人たちも、みなぼんやりとした表情で、同胞の首が日本人の手によって跳ねられようとするところを、見物に来たわけなのだろう。

魯迅の怒りが、如実に伝わってくる部分である。






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