漢詩と中国文化
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不幸な女乞食の話:魯迅「祝福」


魯迅の短編小説「祝福」は、或る女乞食の不幸な生涯を描いたものだ。不幸な生涯を描くのに「祝福」と題したのは、他でもない。祝福というのは、中国の片田舎の町の大晦日の祭のことをいうのだが、その祭の日に生じた小さな出来事が、この小説の中の話のきっかけとなっているのだ。その出来事とは、ある女乞食が小説の語り手に思いがけないことを問いかけてきたことだった。その女乞食は、語り手を学問のある人と見込んで、こう尋ねたのだ。すなわち、人間が死んだあとで魂はあるのか、もしそうなら地獄というものはあるのか、また、死んだら家族はいっしょになれるのか。

これらの問いに対して語り手は、はっきりとではないが、一応肯定的な答えをした。そしてその後で少し後悔した。自分でもそんなに自信があったわけではないから、もっと曖昧な言い方をした方がよかった、と思ったのである。しかしそんな後悔をしているうちに、その女乞食は死んでしまった。自殺したらしいのである。彼女は何故自殺したのか。その謎を語り手は語り手なりに考えた。その考えの軌跡が、この小説の筋をなしているのである。

その女乞食はもともと、町の名家である四叔の家で女中として働いていた。みんな彼女のことを祥林嫂と呼んでいた。女中になる前、彼女は夫とともに山で芝刈りをしていた。夫は自分より10歳年下だったが、あっけなく死んでしまった。そこで女中働きにでることにした、と言っていた。

彼女は良く働いたので、四叔は満足していたが、ある時、彼女の死んだ夫の母親というのがやってきて、彼女を連れ戻したいと言った。四叔は、姑がそういうのなら仕方がないと言って、祥林嫂から預かっていた給金を残らず姑に渡してやった。その後、祥林嫂は無理やり連れ戻されたあげく、山奥の家に嫁として売られていった。彼女は大いに抵抗したのだったが、抵抗もむなしく手籠めにされてしまった。しかし、子どもが生まれてみると、彼女は新しい生活に馴れるようになった。だがそれも続かなかった。新しい夫は腸チフスで死んでしまい、可愛い一人息子も、狼にさらわれて食われてしまったのである。

こうして彼女は再び四叔の家で女中奉公をするようになるのだが、働きぶりは以前のようにというわけにはいかなかった。彼女は事あるたびに死んだ息子のことを思い出してはため息ばかりついていたので、そのうち周りからも相手にされず、主人からもとうとう暇を出されて、ついには乞食の境遇に落ちてしまったのである。

そんな彼女に、ある女が変なことを吹き込んだ。お前が死んであの世にいったら、亡者になった二人の亭主が喧嘩をするだろうよ、お前はどうするつもりかい、閻魔さまも迷ってしまい、お前を鋸で二つに切って、二人の亭主に分けて遣るだろうよ、というのである。こんな話を聞かされて、彼女は恐怖を感じた。生まれ育った山里では、こんな話を聞いたことがなかったからだ。彼女が語り手に冒頭の質問をしたのは、そのすぐ後だったらしいのである。

この筋から読み取れるように、この小説は中國の田舎の無知な人間をテーマにしたものだ。無知な人間といえば、魯迅は「吶喊」のなかでもそんな人々を取り上げ、その固陋なさまを描いていたのだが、それらは阿Qを始めみな男だった。魯迅はこの小説の中で、女を主人公にして、別な角度から中国の民衆の固陋ぶりを描こうとしたのであろう。

女には、男とは違った側面がある。その最たるものは、性的な対象となることだ。この小説の中では、祥林嫂は姑らによって、奴隷同然に売られていくことになっている。姑らにとって、寡婦となった嫁を他の家に売り飛ばすのは当然のことだったのである。だから、女たちは二重の封建的束縛に苦しんでいることになる。ひとつは、男と共通の束縛、ひとつは、女であるが故の束縛だ。

無知な女である祥林嫂にとって、もうこの世への未練はない。しかし死んだ後にどういう世界が待ち構えているか、それが不安で死ぬことが出来ない。それで、学問のある人間に、冒頭の質問をぶつけたというわけなのだろう。その質問に語り手は、あいまいながらも肯定的な回答をした。それを彼女がどうとらえたかは、詳しくわからぬが、少なくとも彼女がそのすぐ後で死んだという事実に違いはない。






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