漢詩と中国文化 |
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衡門(詩経国風:陳風) |
衡門之下 衡門の下 可以棲遲 以て棲遲(せいち)すべし 泌之洋洋 泌(ひ)の洋洋たる 可以樂飢 以て樂しみ飢うべし 豈其食魚 豈に其れ魚を食らふに 必河之魴 必らずしも河の魴ならんや 豈其取妻 豈に其れ妻を取(めと)るに 必齊之姜 必らずしも齊の姜ならんや 豈其食魚 豈に其れ魚を食らふに 必河之鯉 必ずしも河の鯉ならんや 豈其取妻 豈に其れ妻を取るに 必宋之子 必ずしも宋の子ならんや 我が家は横木を渡しただけの粗末な門しかないが、結構気楽に暮らしている、傍らには泌水が洋々と流れ、道を楽しむあまり飢えても気にならないのだ 河の魚を食うのに、魴でなければならぬことはない、妻を娶るに、あの名高い齊の姜のような女でなければならぬことはない 河の魚を食うのに、鯉でなければならぬことはない、妻を娶るに、あの名高い宋の美人でなければならぬことはない ひっそりと世を避けて暮らしている男が、粗末な家に住み、美人を妻にしておらぬとも、泰然自若として生きることのすばらしさを歌ったものである。 衡門の衡は横に同じ、横木を渡しただけの粗末な門のこと、棲遲はひっそりと暮らすこと、姜は人の姓のひとつ |
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