漢詩と中国文化
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惜誦:楚辞「九章」から



「九章」は「離騒」とならんで屈原自身の作として誰もが疑いをさしはさむことのない作品群である。そのほとんどは、懐王によって放逐された後に、離騒と前後して書かれたものと思われる。その内容も、離騒と重なるところが多い。

冒頭に置かれた惜誦は、君を思いながら衆人に妨害されて放逐されたことへの恨みを歌っており、ほぼ離騒と同じテーマを取り上げたものだ。ここではその前半部分を紹介する。


楚辞「九章」から屈原作「惜誦」(壺齋散人注)

惜誦以致愍兮    惜(いた)み誦して以て愍(うれひ)を致し
發憤以抒情     憤を發して以て情を抒(の)ぶ
所非忠而言之兮  忠に非ずして之を言ふ所あらば
指蒼天以為正    蒼天を指して以て正と為さん

いうことを惜しみこらえて憂いにとらわれたが、ついに憤懣を発して感情を流離させるのだ、自分の言っていることが忠義に反しているならば、潔く天の裁きをうけよう

令五帝以折中兮  五帝をして以て折中せしめ
戒六神與嚮服    六神を戒めて與(とも)に嚮服せしめ
俾山川以備御兮  山川をして以て備御せしめ
命咎?使聽直    咎?(かうえう)に命じて聽直せしめん

五帝に仲裁してもらい、六神に事件を尋問してもらい、山川には陪席を願い、咎?(裁判官)に是非を採決してもらおう。

竭忠誠以事君兮  忠誠を竭くして以て君に事へしに
反離群而贅肬    反って群を離れて贅肬(ぜいいう)とせらる
忘諂媚以背衆兮  諂媚を忘れて以て衆に背き
待明君其知之    明君の其れ之を知るを待つ

忠誠を尽くして君に仕えたにかかわらず、群から迫害されて瘤のような扱いを受けた、媚び諂うのを忘れて群に背いたのは、名君が知ってくれると思ってのことだ

言與行其可跡兮  言と行と其れ跡づくべく
情與貌其不變    情と貌と其れ變ぜず
故相臣莫若君兮  故に臣を相(み)るは君に若くは莫く
所以證之不遠    之を證する所以は遠からず

言葉と行いは自ずから愛呼応し、心と顔色も一致するものだ、だから臣下を見立てるのに君ほど相応しいものはない、証拠が身近にあるからだ

吾誼先君而後身兮 吾が誼君を先にして身を後にす
羌衆人之所仇    羌(ああ)衆人の仇とする所
專惟君而無他兮   專ら君を惟ひて他無し
又衆兆之所讎    又衆兆の讎(あだ)とする所なり

私は主君を先にして自分を後にした、それが衆人たちの気に入らなかったのだ、もっぱら君の事を考え他のことは眼中になかった、それが衆人の仇とするところとなった

壹心而不豫兮    心を壹にして豫(ためら)はず
羌不可保也     羌(ああ)保つべからざるなり
疾親君而無他兮  疾(つと)めて君を親みて他無し
有招禍之道也    有(また)禍を招くの道なり

心を一つにして余念がなかったが、思えばそれが身を危うくする原因だった、努めて君を思ってばかりいたために、自ら災いを招いたのだ

思君其莫我忠兮  君を思ふこと其れ我より忠なるは莫し
忽忘身之賤貧    忽ち身の賤貧を忘る
事君而不貳兮    君に事へて貳(じ)せず
迷不知寵之門    迷ひて寵の門を知らず

君を思うこと私より忠なるものはなく、身の賤貧を忘れて働いた、君に仕えて二心なく、その余りに君に取り入る道を知らなかった

忠何罪以遇罰兮  忠何の罪あって以て罰に遇ふ
亦非餘心之所志  亦餘が心の志ざす所に非ず
行不群以顛越兮  行群ぜざるを以て顛越(てんえつ)す
又衆兆之所哂    又衆兆の哂(わら)ふ所なり

なのにどんな罪があってこんな罰を受けるのか、そんなつもりではなかったのに、ただ衆に和せざるを以て転落し、彼らの笑いの種となったのだ

紛逢尤以離謗兮  紛として尤(とがめ)に逢ひて以て謗に離(かか)る
謇不可釋       謇(ああ)釋(と)くべからざるなり
情沈抑而不達兮  情沈抑せられて達せず
又蔽而莫之白    又蔽はれて之を白(あきらか)にする莫し

さんざん君にとがめられ衆にそしられ、弁解することもできない、心情は抑圧されて君のもとには達せず、妨害を受けて言上することもできぬ

心鬱邑餘侘祭兮   心鬱邑として餘侘祭(たたい)し
又莫察餘之中情   又餘の中情を察する莫し
固煩言不可結詒兮 固に煩言は結んで詒(おく)るべからず
願陳志而無路    志を陳べんと願へど路無し

心は鬱屈してしょんぼりと佇み、自分の心情を理解してくれる者もない、くだくだしい言葉をものに結んで君に送ることもできず、言上しようにもすべがないのだ

退靜默而莫餘知兮  退いて靜默すれば餘を知る莫し
進號呼又莫吾聞   進んで號呼づれば又吾に聞く莫し 
申侘祭之煩惑兮   申(かさ)ねて侘祭して之れ煩惑し
中悶呆之屯屯     中は悶?(もんぼう)して之れ屯屯たり

静かに退いていても私をわかってくれるものはないし、進んで叫びたてても誰も聞いてくれない、またまたしょんぼりとして思い煩い、胸のうちは千路に乱れるのだ

昔餘夢登天兮    昔(ゆふべ)餘夢に天に登り
魂中道而無杭    魂中道にして杭(わた)る無し
吾使諮_占之兮  吾諮_をして之を占はしむ
曰有志極而無旁  曰く志極まる有りて旁無しと

以前私は夢の中で天に登り、途中で魂が進めなくなった、そのわけを諮_に占わせると、志は極まっているが助けが得られないのだという

終危獨以離異兮   終に危獨にして以て離異するか
曰君可思而不可恃 曰く君は思ふべくして恃(たの)むべからず
故衆口其鑠金兮   故に衆口は其れ金を鑠(と)かす
初若是而逢殆    初めに是の若くにして殆(あやふ)きに逢ふ

ついに独りぼっちになってしまうのかと問うに、君は思っても頼りにはできぬという、衆人は金をも溶かしかねない口をもち、そのおかげでこんなひどい目にあわされるのだ

懲於羹者而吹?兮 羹に懲りる者は?(あへもの)を吹く
何不變此志也    何ぞ此の志を變ぜざるや
欲釋階而登天兮  階を釋(す)てて天に登らんと欲す
猶有曩之態也    猶曩(さき)の態有りや

羹に懲りてあえものを吹くものがいるのに、なぜ志を変え用途はしないのか、梯子を捨てて天に昇ろうとして、あいも変わらず以前の態度を捨てきれぬのだ。






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