漢詩と中国文化
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去蜀:杜甫を読む



永泰元年(765)五月、杜甫は五年に及んだ蜀での生活を切り上げ、家族を伴って船で三峡へと向かった。時に杜甫五十四、人生の終わりを迎えようとする時期に当たっていた、だから杜甫は長年胸のうちに溜め込んでいた望郷の思いを、吐き出さずにはいられなかったのだろう。おそらくあても無いままに、長江を東へ下ることにより、少しでも故郷の洛陽に近づきたい、そんな思いが杜甫を突き動かしていたのだと思う。

杜甫の五言律詩「蜀を去る」(壺齋散人注)

  五載客蜀郡  五載蜀郡に客たり
  一年居梓州  一年梓州に居る
  如何関塞阻  如何ぞ関塞に阻まる
  転作瀟湘遊  転じて瀟湘の遊を作さんとす
  萬事已黄髪  萬事已に黄髪
  残生随白鴎  残生白鴎に随はん
  安危大臣在  安危には大臣在り
  不必涙長流  必ずしも涙長へに流れしめず

5年の間蜀に客となり、そのうちに一年は梓州にいた、だがいつまでも関塞に阻まれて蜀にいるわけにもいかぬ、これから江南の地へ出て行こうと思うのだ

とはいっても何をなすにも年をとりすぎた、残生は白鴎のように気ままに生きよう、国の危機には大臣たちがあたってくれるだろう、自分のようなものが何時まで涙を流している場合でもない


何をなすにも年をとりすぎた今となって、残生は白鴎のように気ままに生きようと杜甫は歌うのだが、だがその気ままさゆえの自由も、帰るべき故郷があってこそ始めて意味を持ちうる、言外にそんな杜甫の気持ちを読み取るべきだろう.






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