漢詩と中国文化
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南鄭馬上作:陸游を読む


乾道八年(1172)3月、夔州での勤務が半年にもならないうちに、陸游は権四川宣撫使司幹弁公事という職に任命された。これにはちょっとした訳がある。

権四川宣撫使司幹弁公事という役職は、四川宣撫使の属官である。その四川宣撫使というのが、臨時に設けられた職で、任務は金との国境を警備するとともに、あわよくば金に戦争を仕掛けることを予想した最前線の指揮官でもあった。その官職に王炎というものが急遽任命されたのであるが、その背景には、朝廷内で主戦論が勢いを盛り返したという事情があったようだ。

王炎は、陸游が名うての主戦論者であったことをよく知っていたのだろう。四川宣撫使に任命されるや早速陸游に声をかけて、自分のスタッフに加えた。陸游にしてみれば、長い間抱いていた志を実現する絶好のチャンスであったと思われる。

王炎の幕府が置かれたのは、陝西省の最南部にある南鄭という都市。漢中地域の最奥部に位置し、秦嶺山脈を挟んで長安とは近い距離にある。あわよくばここを拠点に長安に攻め上り、失われた領土を取り戻す、それが陸游の夢であった。もっともその夢はかなえられることはなかったが。

「南鄭馬上作」は、南鄭における緊張した日々を歌った作品である。


南鄭馬上の作

  南鄭春殘信馬行  南鄭に春の殘るころ 馬に信(まか)せて行く
  通都氣象尚崢嶸  通都の氣象 尚ほ崢嶸たり
  迷空遊絮憑陵去  空に迷ふ遊絮は 憑陵として去り
  曳線飛鳶跋扈鳴  線を曳く飛鳶は 跋扈して鳴く
  落日斷雲唐闕廢  落日 斷雲 唐闕廢し
  淡煙芳草漢壇平  淡煙 芳草 漢壇平らかなり
  猶嫌未豁胸中氣  猶ほ嫌ふ 未だ胸中の氣の豁けざるを
  目斷南山天際橫  目は斷ゆ 南山の天際に橫たはれるに

春の名残のある南鄭を馬に任せて行けば、この大都会の景色には厳しい雰囲気が感じられる、空中をただよう柳絮は憑陵として去り、線を引いて飛ぶトビは我が物顔に鳴く(氣象:景色、崢嶸:けわしいさま、遊絮:ただよっている柳絮、憑陵:そらたかく舞うさま)

日は落ち雲はちぎれ唐の都は荒廃したまま、薄靄がかかり草が茂り漢の祭壇も崩れたままだ、胸の中のわだかまりが解けないことを気に病み、遥か彼方に目を向ければ南山が地平線に横たわっている(唐闕:唐の王宮の門、漢壇:漢の祭壇、南山:長安南郊の山、終南山)






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