漢詩と中国文化
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歸次漢中境上:陸游を読む


陸游が南鄭にいたのはわずか半年ばかりのことだが、その半年は中身の濃い時間だった。金との国境に近く、長安はすぐ目の前にある。陸游は、金の占領地に攻め入って、長安を取り戻し、宋を再興することを願っていた。それ故、毎日が緊張した日々だったのである。

そんな緊張した思いを書いた詩がいくつか残っている。なかでも、「歸次漢中境上」は傑作と言える作品だ。

これは、四川省に出張した帰りに、数日ぶりに漢中の地を踏んだ感慨を歌ったものである。ここからは、金との国境がすぐ目の前だ。金は油断していて、今なら勝てる見込みがある。だから今こそ責めるべきである、でなければきっと後日後悔のタネになると、主戦論者らしい気持を歌ったものである。


陸游の七言律詩「歸りて漢中の境上に次(やど)る」(壺齋散人注)

  雲棧屏山閱日遊  雲棧 屏山 日を閱して遊び
  馬蹄初喜蹋梁州  馬蹄 初めて喜ぶ 梁州を蹋(ふ)むを
  地連秦雍川原壯  地は秦雍に連って川原壯んに
  水下荊揚日夜流  水は荊揚に下って日夜流る
  遺虜孱孱寧遠略  遺虜 孱孱たり 寧ぞ遠略あらんや
  孤臣耿耿獨私憂  孤臣 耿耿として 獨り私かに憂ふ
  良時恐作他年很  良時 恐らくは作らん 他年の很みと
  大散關頭又一秋  大散關頭又一秋


雲中の桟道や屏風のような山並みを超えて、数日ぶりに戻ってきて、今や漢中の梁州にまでやってきた、地は秦雍(陝西省南部)につながって川原が開け、その川(漢水)は荊州や揚州にまで流れていく(閱日:日を閲すとは数日という意味、梁州:漢中にある土地の名、秦雍:陝西省南部長安近辺の名、関中ともいう、荊揚:荊は武漢の西にある都市、江陵ともいう、揚は長江下流の都市)

えびすどもは無力で、奴らに遠慮する必要などない、それなのに自分は眠ることもならず愁えてばかり、このチャンスをものにできなければいつかきっと後悔する、大散關のほとりではまた秋が過ぎていくではないか、(遺虜:残っているえびす、金のことを言う、孱孱:無力なさま、耿耿:眠れないこと、良時:よいチャンス、ここではそれを生かすことのできない気持ちが込められている、大散關:陝西省宝鶏にあった関所、当時の金と南宋との国境である)






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